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三陸の海
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2013/11/27 |
JAN | 9784062185981 |
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三陸の海
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「三陸の海」津村節子著、講談社、2013.11.25 162p ¥1,260 C0093 (2024.10.28読了)(2024.10.25借入) 副題を付けるとしたら「吉村昭と田野畑村と長崎と私」でしょうか。 津村節子さんの夫は、吉村昭さんです。作家の夫婦ですね。とはいえ、夫婦...
「三陸の海」津村節子著、講談社、2013.11.25 162p ¥1,260 C0093 (2024.10.28読了)(2024.10.25借入) 副題を付けるとしたら「吉村昭と田野畑村と長崎と私」でしょうか。 津村節子さんの夫は、吉村昭さんです。作家の夫婦ですね。とはいえ、夫婦になった時は、どちらもまだ作家ではなかったようです。 吉村昭さんのデビュー作は、田野畑村を舞台にした「星への旅」と長崎を舞台にした「戦艦武蔵」ということです。その縁で、田野畑村を訪れていた時に津波の話を聞き、「三陸海岸大津波」を書きました。東日本大震災の後にこの本に注目が集まり、ベストセラーになりました。吉村昭さんは、2006年に79歳で亡くなられていますので、「三陸海岸大津波」がベストセラーになるときが来るなんて知らずに亡くなったことになります。 津村さんは、吉村さんと何度も田野畑村を訪ねているので、東日本大震災を知った時に田野畑村の状況が知りたくて何度も連絡を取ったようです。村の状況が少し落ち着いたころに、村を訪ねて状況を確認した旅の様子と、それ以前の田野畑村との付き合いの様子がつづられています。 僕は、旅行をあまりする方ではないのですが、長崎と、田野畑村は言ったことがあります。北山崎とか鵜の巣断崖、北山崎を海から見る観光船、北山崎の363段の階段などは、記憶にあります。懐かしかったですね。 【目次】(なし) 一~八 あとがき ☆関連図書(既読) 「戦艦武蔵」吉村昭著、新潮文庫、1971.08.14 「戦艦武蔵ノート」吉村昭著、岩波現代文庫、2010.08.19 「三陸海岸大津波」吉村昭著、中公文庫、1984.08.10 「関東大震災」吉村昭著、文春文庫、1977.08.25 「死顔」吉村昭著、新潮文庫、2009.07.01 内容紹介(楽天ブックス) 東日本大震災の日、「私」が新婚の頃に夫・吉村昭と行商の旅をした三陸海岸を、大津波が襲った。三陸の中でも岩手県の田野畑村は夫婦にとって特別な場所。夫婦で同人雑誌に小説を書きながらの生活は厳しかったが、執筆に専念するため勤めを辞めた夫は、2泊3日かけて「陸の孤島」と呼ばれていた田野畑へ向かう。鵜の巣断崖の絶景に出会った夫は小説の着想を得て、昭和41年に太宰治賞を受賞、作家の道が開けた。取材以外の旅はしなかった夫は、家族を連れて唯一、田野畑だけには旅行するようになる。 もし夫が生きていたら、津波に襲われた愛する三陸の姿を見て、どんなに悲しんだだろう。三陸は故郷ではない。住んだこともない。でもあの日、津波が襲ったのは、私にとってかけがえのない場所だーー。 震災の翌年、夫の分まで津波の爪痕を目に焼き付け、大切な人々に会うため、息子と孫と共に田野畑を巡った妻の愛の軌跡。
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著者の津村節子氏は作家吉村昭氏の妻である。そうは言っても、妻の節子氏の方が売れるのは先だったようだ。 吉村昭氏が「三陸海岸大津波」を書いており、東日本大震災後重版されているという。吉村はこの本で大津波の再来を予言しており、それが見事に的中しているからだ。本人は既に亡くなって...
著者の津村節子氏は作家吉村昭氏の妻である。そうは言っても、妻の節子氏の方が売れるのは先だったようだ。 吉村昭氏が「三陸海岸大津波」を書いており、東日本大震災後重版されているという。吉村はこの本で大津波の再来を予言しており、それが見事に的中しているからだ。本人は既に亡くなっているので、妻の節子にインタビューや連載の依頼が来るという。そこで思い立って著したのが本書である。 吉村は「三陸海岸大津波」を著すために、三陸を108回も訪れているという。節子はそれの半分は同行したそうだ。だから吉村が三陸でどんな取材をしたのか、よく知っていた。しかも彼らが訪れたのは三陸のうちでも田野畑村ばかりである。若い村長がいて、観光地化させずに村を住みよくしようとする姿勢が気に入ったのだろう。以来ずっと田野畑村オンリーだという。 私の住む八戸も大きな津波が来襲し大きな被害を受けたが、岩手沿岸の被害があまりに大きかったので、八戸はニュースにもならなかった。それほど大きく被災したのだろう。 吉村がどんな気持ちで田野畑村を取材したのか、震災後に節子が吉村の足跡を辿る。家族を連れて田野畑村を訪れるくだりは臨場感にあふれ、胸を打つものがあった。
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田野畑村を訪れるようになった経緯や、そこで出会った人たちのお話が書かれていて、なるほどと感じさせた。
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