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人生を感じる時間 草思社文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 草思社 |
発売年月日 | 2013/10/03 |
JAN | 9784794220028 |
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人生を感じる時間
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商品レビュー
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4件のお客様レビュー
・自分が生きている時代をただ楽しいと思っていられる人は、その時代に適合するサイズの内面しか持っていない。時代が求めるもの以上の遠いところを見ているからこそ、その人は生きにくいと感じることができる。 ・人間は反復によって「何か」を理解するようにできている。 ・よりどころとなるのは、...
・自分が生きている時代をただ楽しいと思っていられる人は、その時代に適合するサイズの内面しか持っていない。時代が求めるもの以上の遠いところを見ているからこそ、その人は生きにくいと感じることができる。 ・人間は反復によって「何か」を理解するようにできている。 ・よりどころとなるのは、明るさや早さや確かそうではなくて、戸惑い頭に暮れている状態から逃げないことなのだ。 ・現代の人間に必要な事は、金のサイクルの中で成功することではなく、金のサイクルの外に出ること。これができるのは皮肉ではあるが金持ちだけ。
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「ビートルズは幸せだったのか?」「身近な密度の高い時間よりも、気を紛らわす何も持たずに人を待っている長く感じられる時間の方こそ人生の素顔のようなものではないかと思える。」「一日中のんべんだらりとして生きている猫たちの方が、人生の素顔を見て、毎日を暮らしているように見える。」・・と...
「ビートルズは幸せだったのか?」「身近な密度の高い時間よりも、気を紛らわす何も持たずに人を待っている長く感じられる時間の方こそ人生の素顔のようなものではないかと思える。」「一日中のんべんだらりとして生きている猫たちの方が、人生の素顔を見て、毎日を暮らしているように見える。」・・といった感じで始まる保坂和志氏の生き方論エッセー。読んでいて、住みにくい現代の私たちを、緊張の空気の中から、そっと広い野原に出してくれる感じがする。あとがきでは;「拠り所となるのは、明るさや速さや確かさではなくて、戸惑い途方に暮れている状態から逃げないことである。安易に結論だけを求めることがつまずきの因になる。生きることは考えることであり、考えることは結論なんかなくて、プロセスしかない。」
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相変わらず「ゆるく」も「するどい」保坂さんの実存的考察。エッセイとして書いているのだろうが「日常」というにはあまりにも重い。とはいえ、やはり「書く」題材は日常から持ってこなくては話の端緒がつかめるはずもないので、やはり普段の何気ない光景から考察は始まるのはエッセイの定石だろう。...
相変わらず「ゆるく」も「するどい」保坂さんの実存的考察。エッセイとして書いているのだろうが「日常」というにはあまりにも重い。とはいえ、やはり「書く」題材は日常から持ってこなくては話の端緒がつかめるはずもないので、やはり普段の何気ない光景から考察は始まるのはエッセイの定石だろう。こうした文章を読んでいて「よかった」と思うことは「自分と同じようなことを考えている人がとりあえずはいる」ということである。さらにそこから少しの「ズレ」を見つけると自分の立ち位置がある程度つかめる。そこからどうこうするとは限らないが「腑に落ちる」という体験はこうした文章で触れる以外にそれほど多くはないように思う。 エッセイで取り上げられることが多い「死」についても語っている。それぞれの作家の死生観はとても参考になるのだが、どれも結論は「納得」や「了承」といったものが多い。しかし多くの人間はそれに辿り着く前の「認識」にすら至っていないのが現状ではないか。本書のような深い考察を試みているような本でも読まない限り「死」など考えることもないのだろうか。ちょっとした考察のきっかけは日常にころがっているはずである。 エッセイで取り上げられるものでさらに多いのが「お金」の話。経済というスケールの大きなものではないが、これまた「日常」においては避けては通れない話題である。周囲の人間は「ナニナニがいくらかかった」などといった話は張り切って語るのに「そもそもお金ってナニ?」といった話には「そんな話いいよ」といった感じで受け流す。「死」だの「金銭」だのという話の本質的部分は多くの人間が避けざるをえない話題なのだな、とつくづく感じる。こうした話は「教養」という範疇でくくれるかもしれない。その「教養」に対してある種の人達は「役に立たない」知識という考えをもっているようにみえる。むしろ「有害」と思っているヒトも多いかもしれない。 保坂さんの年代の人達は、様々な物事に深い考察をしていて話がとてもおもしろい人が多いように思うがその反面、多くの物事に興味を失っていて話がものすごくつまらない人も多い。人それぞれと言われればそれまでなのだが、他の年代特に若い年代の人達の間ではそこまでの差がついてはいないような気がする。「日常」をきっかけにして「考察」するというささやかな営みは、今後いかなる状況に追い込まれたとしても継続していきたい。
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