1,800円以上の注文で送料無料

科学者が人間であること 岩波新書
  • 中古
  • 書籍
  • 新書
  • 1226-24-00

科学者が人間であること 岩波新書

中村桂子【著】

追加する に追加する

科学者が人間であること 岩波新書

定価 ¥1,012

330 定価より682円(67%)おトク

獲得ポイント3P

在庫なし

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 2013/08/23
JAN 9784004314400

科学者が人間であること

¥330

商品レビュー

3.5

15件のお客様レビュー

レビューを投稿

2024/09/01

この本を読むと、著者のライフワークである「生命誌」の根底となる考え方がよくわかる。 僕は中村桂子先生の本は文庫、新書であれば全部読みたいと思っており、本書は2013年の出版ながらその存在をお粗末ながら、書店で偶然見つけて知った。当然、さっそく手に取る。 著者は、2011年の東...

この本を読むと、著者のライフワークである「生命誌」の根底となる考え方がよくわかる。 僕は中村桂子先生の本は文庫、新書であれば全部読みたいと思っており、本書は2013年の出版ながらその存在をお粗末ながら、書店で偶然見つけて知った。当然、さっそく手に取る。 著者は、2011年の東日本大震災後、科学科学技術が自然と向き合っていないとこを問題視する。それは、科学技術者が漏らした「想定外」とうい言葉にある。 自然が全て解明されていないのに、特定の数字をきめて計算するうちに、人間がすべてを設定できるという気分になり、その数字の中で考えるようになる。その結果、傲慢になる。科学者が日常的な生活者としての感覚をもっていないということだ。 「人間は生きものであり、自然の中にある」ことを繰り返し主張する。「活きた自然のと一体感」が重要。 この問題の解決方法を大森荘蔵を引用し、「密画的世界」(科学による理解)と「略画的世界」(日常的感覚での世界)との「重ね描き」と説く。 最終章で、日常感覚や思想性を求められるのは研究者に限らない。政治家、官僚、企業人などすべての人が、その専門からだけでものを見るのではなく、生活者、思想家であることが求められると説く。 企業人である僕は、思わずドキリとし、この本を読む価値に改めて気づかされた。

Posted by ブクログ

2024/03/29

今まで読んだ本とは異なる雰囲気でとても楽しめた。具体的な例で中村桂子さんの主張がより明確に伝わり、納得できる部分も多くあり、共感できた。普段は便利な世の中で生き、なかなか気づかない「生きものとしての感覚」についても改めて自分の五感を用いて判断し、責任を持つことが大切と分かった。最...

今まで読んだ本とは異なる雰囲気でとても楽しめた。具体的な例で中村桂子さんの主張がより明確に伝わり、納得できる部分も多くあり、共感できた。普段は便利な世の中で生き、なかなか気づかない「生きものとしての感覚」についても改めて自分の五感を用いて判断し、責任を持つことが大切と分かった。最新の科学や数字に頼りがちな世の中で、「生きものとして生きる、『自律的な生き方』」ができればなと思う。

Posted by ブクログ

2023/07/14

880 科学的とは多くの場合数字で表わせると いうことです。 東京への一極集中は、生きものとして生きるとい う生き方を許しません。しかも、多くの発信が東京からなので、社 会としての価値観や生き方の選択が東京で決められてしまうことに なります。北海道から沖縄までさまざまな自然の...

880 科学的とは多くの場合数字で表わせると いうことです。 東京への一極集中は、生きものとして生きるとい う生き方を許しません。しかも、多くの発信が東京からなので、社 会としての価値観や生き方の選択が東京で決められてしまうことに なります。北海道から沖縄までさまざまな自然の中でそれを生かし た暮らしを作っていくことが、「ヒト」としての豊かな暮らしにつ ながるのに、です。 生命誌の立場から、 一極集中は改めなければならないと言えます。 科学が明らかにしてきた知は放棄しない。しかし同時に、大森の示したような二元論 に基づく「科学」では、痛みや美しさの感じなどが語れないことは明らかなのですか ら、科学だけで世界を理解することはできないとする必要があります。 科学はすべてに答があるとするものです。しかも最近 は、答えるのがよいという風潮がありますので、答のない問いを問い続けることを大切 にしません。そのために、心は最もわからないものと思いこむのではないでしょうか。 ところが日本が近代科学を取り入れた時に、その基本にあるキリ スト教が多くの人々に受け入れられることはありませんでした。日 本の風土として培われた、自然の中に多数の神を見る文化は一神教 とは合いません。しかし、先進国となるためには、ある意味キリス ト教の申し子とも言える科学は、取り入れなければなりませんでし た。 このような考え方には、熊楠の日常にあった仏教が生きているよ うに思います。事実熊楠は、「科学哲学は仏意を賛するものとでも 見て」と言っています。西欧の科学を知識として学ぶだけでなく、 自身の中に取りこみ、それを仏教と組み合わせて新しいものを生み 出そうとする心意気が見えてきます。熊楠は科学を仏教の眼で見よ うというだけでなく、仏教も科学に眼を向けることで隆盛すると考 えています。 そのためにはまず、自然科学者であっても人文・社会科学を学ば なければいけないというのが当然言われることでしょう。

Posted by ブクログ