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柳田国男を読む ちくま学芸文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 2013/07/12 |
JAN | 9784480095466 |
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商品レビュー
3.5
2件のお客様レビュー
本書の前半は新書として出版されたものをそのまま再録したもので、柳田国男の意義と限界にそれぞれバランス良く目配せした優れた入門編である。後半では柳田の一国民俗学が孕むイデオロギーに対して近年流布する批判的言説への著者のスタンスが明らかにされており、非常に面白く読ませてもらった。 ...
本書の前半は新書として出版されたものをそのまま再録したもので、柳田国男の意義と限界にそれぞれバランス良く目配せした優れた入門編である。後半では柳田の一国民俗学が孕むイデオロギーに対して近年流布する批判的言説への著者のスタンスが明らかにされており、非常に面白く読ませてもらった。 柳田は経世済民の学としての一国民俗学の確立を目指していた。それは若き日の農政官僚としての使命感の延長にあるものだ。著者は子安宣邦氏や村井紀氏のように、柳田のイデオロギー性や植民地政策への関与を超越的立場から批判することに関心はないと言い切る。柳田が置かれた歴史的文脈を踏まえつつ、あくまで柳田の豊饒なテクストに寄り添い、その限界を意識しながらも、そこに埋れた尽きせぬ魅力と可能性を掘り起こすこと、それが柳田を古典として読むことだと言う。 全くその通りだ。しかし敢えて付言したい。著者は柳田には元々「漂泊の民」への理解と共感があったが、稲作と祖霊信仰を核とする「常民」の一国民俗学を確立する過程でそれが切り捨てられたと言う。この著者の立論は、共同体の内と外という観点から、共同体の「内なる視線」の特権化を批判する子安氏の論理と基本的には同じ構図にある。それは「内なる視線」の排他性を相対化する限りにおいては、極めてまっとうな批判だが、逆に「外部の視線」を特権化することになってはいないか。(この点について、六車由美氏の論考「それでもなお私たちが「柳田」を論じるのはなぜか?」は極めて示唆的である) ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』を持ち出すまでもなく、「ネーション」なるものは自然発生的に形成されるものではなく、自覚的に「創造」されるものだ。子安氏をはじめ、一国民俗学のイデオロギー性を暴いてしたり顔の論者は、だから国家は克服すべき「幻想」であると短絡的に考える。だが、なぜその「幻想」が「創造」されなければならなかったかを問おうとしない。柳田が『遠野物語』で描いたように人間は共同体の外部に惹かれる存在である。だが同時に内なる共同体への郷愁を捨てきれない両義的な存在でもあるのだ。それが失われた「真正」の共同体でなく、「創造」された、いや「捏造」された共同体であったとしてもだ。柳田の「揺らぎ」になお学ぶべきものがあるとすればこの点ではないか。この両義性に無自覚な、あるいは意図的な無視による、それこそ超越的批判は、それ自体が一個のイデオロギーに過ぎないことを知るべきだ。
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第一部「柳田国男の読み方」は初期/前期/後期の狭間にある断面(例えば山人、巫女・毛坊主、沖縄)について焦点を当てる。精神史三部作をなぞるような展開か。今ひとつ記憶が定かではない。 第二部は「稲を携えてきた常民」を語る柳田の手法に着目する共に、川村湊、子安宣邦柳田批判について検討す...
第一部「柳田国男の読み方」は初期/前期/後期の狭間にある断面(例えば山人、巫女・毛坊主、沖縄)について焦点を当てる。精神史三部作をなぞるような展開か。今ひとつ記憶が定かではない。 第二部は「稲を携えてきた常民」を語る柳田の手法に着目する共に、川村湊、子安宣邦柳田批判について検討する。
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