- 中古
- 書籍
- 書籍
神やぶれたまはず 昭和二十年八月十五日正午
定価 ¥1,980
385円 定価より1,595円(80%)おトク
獲得ポイント3P
在庫なし
発送時期 1~5日以内に発送
商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 2013/07/10 |
JAN | 9784120045172 |
- 書籍
- 書籍
神やぶれたまはず
商品が入荷した店舗:0店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
お客様宅への発送や電話でのお取り置き・お取り寄せは行っておりません
神やぶれたまはず
¥385
在庫なし
商品レビュー
4.2
6件のお客様レビュー
桶谷秀昭「昭和精神史」を受けて、その不可能な試みの源泉を考察する。 戦後のあまりの騒々しさや目まぐるしさによって、玉音による「天籟」や「虚無」はかき消されてしまったように見える。今となっては幻想かもしれないし、一度は経験したものの忘れ去られてしまったのかもしれない。しかし本書では...
桶谷秀昭「昭和精神史」を受けて、その不可能な試みの源泉を考察する。 戦後のあまりの騒々しさや目まぐるしさによって、玉音による「天籟」や「虚無」はかき消されてしまったように見える。今となっては幻想かもしれないし、一度は経験したものの忘れ去られてしまったのかもしれない。しかし本書では、確かに神聖な何かが存在したことが様々な角度から述べられるとともに、読者にたいしてそれを思い起こさせようとする。 玉音による思考停止後に響く「生きよ」という命題。本来であれば米軍上陸の際に、日本は焦土にひゅひゅと風だけが吹く国になるはずだった。ところがその直前で「生きよ」という命題が生じたところに、自分は戦争の欺瞞を感じる。この「天籟」を前にして戦時中の犠牲者はどのように位置づけられているのだろうかと。生者と異なり死者は「天籟」を経験していないのではないかと。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
虚しい・・のかな・・・。 現在の社会状況を改めて考え直しても やはり、帰ってくる答えは虚しい・・否・・ 虚しさを通り越して「阿呆らしい」そんな感じがするのです なんでまた、くだらぬスキャンダルを演じているのでしょう マスコミには特に言いたくもなる。 もうやめてくれないかと。
Posted by
そもそも八月十五日は何の日だろうか。 国は八月十五日を「終戦記念日」と定めているが、法的には何の日でもない。 八月十四日 ポツダム宣言受諾の日 九月二日 ポツダム宣言を受諾し降伏文書の調印 八月十五日付の朝日新聞に掲載された『玉砂利握りしめつつ宮城を拝しただ涙』という大見出しの記...
そもそも八月十五日は何の日だろうか。 国は八月十五日を「終戦記念日」と定めているが、法的には何の日でもない。 八月十四日 ポツダム宣言受諾の日 九月二日 ポツダム宣言を受諾し降伏文書の調印 八月十五日付の朝日新聞に掲載された『玉砂利握りしめつつ宮城を拝しただ涙』という大見出しの記事は、いかにも十五日正午にその場の情景を活写したごとく書かれているけれども、実は前日に書かれたものであり、当日の写真として伝はつている写真のうちにも、事前に撮影されたものがかなりあると指摘されている。 敢えて言うなら、お盆と重ねまつりあげたメディアが作った巧妙な演出の嘘と言わざるを得ない。 昭和天皇に対して不敬を働く気は微塵もないが、概ね八月十五日は、予め録音された詔勅が放送された日という認識だろう。 ならば法律的に終戦記念日を九月二日にしても構わない筈だ。 本書は、そんな低レベルの論考をテーマにしているのではありません。 激動の昭和という時代の精神史に論考し、平成と元号が変遷した今でも所謂 ”戦後” という総括がなされないのは如何なものか…。 今一度原点に立ち、”戦後”を思索しなおしてみると自ずと道は開ける。 そういう意味で、本書は名著だと思うのです。
Posted by