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存在と時間(2) 岩波文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2013/06/17 |
JAN | 9784003365151 |
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商品レビュー
5
3件のお客様レビュー
相変わらず面白い。 真っ当なことしか書いてないなハイデガー先生。 現存在にとっての「恐れ」は特によかった。 恐怖の対象を開示させる、それこそが確かな実存への一歩となる。 岩波文庫は巻数が多くて嫌になっちゃう。
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存在と時間(二) (岩波文庫) (和書)2013年08月31日 13:39 ハイデガー 岩波書店 2013年6月15日 『存在と時間』二巻目(全四巻) 木村敏がハイデガーの『存在と時間』について書いていたのを思い出した。実存主義とアナキズムを学として成立させようという試み。...
存在と時間(二) (岩波文庫) (和書)2013年08月31日 13:39 ハイデガー 岩波書店 2013年6月15日 『存在と時間』二巻目(全四巻) 木村敏がハイデガーの『存在と時間』について書いていたのを思い出した。実存主義とアナキズムを学として成立させようという試み。それが現象学なのかもしれない。他の本も読んで研究する必要を感じる。 先ず思うのは人間の格差を解消しそれを学として捉えようという姿勢である。それが現存在を考える究極の目標である。その姿勢はアナキズムを学として成立させようとすることである。その姿勢はキルケゴールに見ることができ、木村敏がハイデガーとキルケゴールから統合失調症と捉えようという姿勢を理解できる。 統合失調症は格差の論理ではなく格差を解消することによって真理(普遍的命題)を見ようとする姿勢である。統合失調症と実存主義、アナキズムが関係してくる所以がそこにある。木村敏がキルケゴールやハイデガーから考える理由を理解できる。 哲学の根幹がそこにあるということである。
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(一)(二)を読み終え、(三)を読み中であるがここまでの感想をここに記しておくことにする。何せ最終巻の(四)は12月に発刊予定らしいので。 前半。これからどこへ向かうのか、どの程度の距離なのかが予想しにくく、呼吸がし難かったほどである。果てしない。読み進めていくうちに、ハイデガ...
(一)(二)を読み終え、(三)を読み中であるがここまでの感想をここに記しておくことにする。何せ最終巻の(四)は12月に発刊予定らしいので。 前半。これからどこへ向かうのか、どの程度の距離なのかが予想しにくく、呼吸がし難かったほどである。果てしない。読み進めていくうちに、ハイデガー自身もその辺りの見通しはついていないのだろうな、と感じたわけだが。 何が明らかになればいいか、何について分析してゆくべきかについての問題や伏線が散りばめられていく。 当たり前、自明なこととして私たち大人が見過ごして受け入れていることにこそメスを入れる。「なぜ“ある”のか?」「“ある”とは?」と疑問を投げかける。ハイデガーのみならず、多くの哲学者は童心を抱えたままなのだろう。詩人の多くもそんな気がする。 (二)に突入したあたりからようやくその全容が見えてくる。「こういう感じなのね」という感覚知が私の中に立ち上がってきた。 一文一文の意味は理解しがたいのであるが、それでも読み進めることで総合的に「わかる」ようになりはじめる。繰り返し主語になる語がある。ハイデガーの文体に慣れ始める。ある語のハイデガー的な使い方とその含意、機微を次第に掴めるようになってくる。長大な本、文章にはそういう傾向があるなとも思い至る。一を聞いて十を知る、とはなかなかいかないな。 折り返しの三巻からは少し別のアプローチが始まる。おわり、死、未済、全体性の話題。『存在と時間』の“時間”側の領域に突入したようだ。 ※※ 肯定の表現のみならず、否定的な説明をも駆使している。ある特定の事物がAであることを主張する場合、それではないこと、つまり「Bではないこと」をも付記する。たとえ読者がBであると誤解する可能性が小さくても、である。 これがあまりに繰り返されると説明過多になる。だからと言ってこれが少ないと軽薄な言説になってしまうことだろう。 具体例を挙げるケースが少ないため、その例証が強く印象に残る。道具としての存在における「ハンマー」。全体性とおわり、完成のあたりでは「月」の満ち欠けや、「果実」の未熟、完熟を例示していた。 つくづく感じるのは哲学の面白さと役に立たなさ。 役に立たないからこそ、哲学は哲学なのだろうし、それだけで面白い。 哲学者はたいてい気難しい顔をしているけれども、私には愉快で痛快にも思える。語弊を恐れずに言うとお笑い芸人と同一視している。
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