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失礼な敬語 誤用例から学ぶ、正しい使い方 光文社新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 光文社 |
発売年月日 | 2013/06/18 |
JAN | 9784334037529 |
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失礼な敬語
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商品レビュー
3.8
14件のお客様レビュー
先週、首相が「さ入れ」で答弁しているのを聞きました。映画の舞台挨拶付き上映会に行けば、壇上の大半の俳優が「○○役を演じさせていただきました」と言う。「させていただく」の多用が大嫌いな私はいつも、「“させていただく”言うとったらええっちゅうもんちゃうで」と怒りをおぼえていますが、こ...
先週、首相が「さ入れ」で答弁しているのを聞きました。映画の舞台挨拶付き上映会に行けば、壇上の大半の俳優が「○○役を演じさせていただきました」と言う。「させていただく」の多用が大嫌いな私はいつも、「“させていただく”言うとったらええっちゅうもんちゃうで」と怒りをおぼえていますが、これは文としては間違っているわけではない。呆れるのは「○○役をやらさせていただきました」というヤツです。 成人している著名人が公の場で「お母さんに教えていただきました」、あるいは親である有名人が自分の子どもの話をするときに「○○ちゃんに買ってあげた」などと言うのにも違和感があります。家柄もよろしいようなのに言葉遣いの教育は受けてこられなかったのですかと嫌みのひとつも言いたくなる。 携帯電話の普及で、話したい相手の親を経由することがなくなり、プチ敬語すら使う機会がありません。付け焼き刃では無理だから、社会に出て取引先などと話をしなければならなくなったとき、自分が敬語を使えないことに初めて気づく。でも本当に気づくでしょうか。今や正しくない日本語が普通で、銀行に行っても妙な敬語で応対されたりする。周囲がみんな妙な敬語を使っているなら、自分が気にする必要もないということになるのでは。 本書にある「挨拶の言葉にはそれぞれ意味がある。意味を無視する癖がつくと、心にもないことを平気で言うようになる」。「便利だからと言って使いすぎると、言葉はすり切れる」。これがすべてだと思います。しかし、この本を手に取るのは、「正しい日本語を使いたい」と常日頃から思っている人のはず。「さ入れ」、「れ足す」を使い(「ら抜き」はもうあきらめました(笑))、何でもかんでも「~させていただく」と言って自分は丁寧な日本語を喋っているつもりになっている人は、悲しいかな、この本を読まないのではないでしょうかね。 あぁ、なんだか上から目線のレビューになってしまった。すみません。(^^;
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目次を見ただけで、いつもの自分の言葉遣いに思い当たるところが多々あり、どんな問題があるのかワクワクしながら読み進めた(ワクワクするところじゃないかもしれないけれど...)。 この本は、敬語の誤用例について、敬語の本来の使い方や意味を示しながら、どこがなぜ誤っているのかを教えてく...
目次を見ただけで、いつもの自分の言葉遣いに思い当たるところが多々あり、どんな問題があるのかワクワクしながら読み進めた(ワクワクするところじゃないかもしれないけれど...)。 この本は、敬語の誤用例について、敬語の本来の使い方や意味を示しながら、どこがなぜ誤っているのかを教えてくれる。 面白いのは、どうしてそのような誤りをしてしまうのかという分析もなされているところだ。 言葉を使う人の心理だ。 だから、単純に言葉遣いの正誤に関する知識が得られるのにとどまらず、自分自身のコミュニケーションのあり方、他者に対する向き合い方も考えさせられた。 「よろしくお願いします」や「〜ればと思います」が丁寧な形をとっているようで、場合によっては相手に自分の意見を押し付けたり、自分の意思を察することを求めるものになりうること。 もう一歩言葉を選んで使う努力をすべきなのに、なんとなく通じるだろうと思って手を抜いてしまう自分のあり方を反省した。 「意味を無視する癖がつくと、心にもないことを平気で言うようになる。」という著者の言葉にヒヤリとした。 他方、今までの言葉遣いでは現在のコミュニケーションのあり方に合ってないのではないかと思えるものもあった。 「いいえ」という意味の「大丈夫です。」については、たしかに紛らわしい。しかし、「結構です。」というのは語気が強く感じる。もう少し優しく言いたいという話し手の思いに合う言葉はないのだろうか。 人との距離のとり方が「結構です。」が使われていたときとは変化していると思う。 著者はもちろん、言葉が社会とともに変化しうるものであることは念頭に置いている。 その上で、敬語が誤った方向に急激に変化していくことに危機感を抱いている。 なぜ急激に敬誤が出てきたのか、敬誤が増えればどうなるのか、考えてみようと思う。
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最後の方は、著者の現状への不満が書かれているようにも思いますが、前半の誤用については、日常で気になることがたくさんあり、よく書いてくださったと思いました。 時代によって言葉は変化し、自身も今風の言葉をその時々で使うことはあります。 一方で、敬語は年齢などの属性が異なる幅広い人に向...
最後の方は、著者の現状への不満が書かれているようにも思いますが、前半の誤用については、日常で気になることがたくさんあり、よく書いてくださったと思いました。 時代によって言葉は変化し、自身も今風の言葉をその時々で使うことはあります。 一方で、敬語は年齢などの属性が異なる幅広い人に向けてのものであることから、「正しさ」に関して簡単に変わって良いとは思えません。 筆者が前半で指摘している「させていただく」の乱用は、なぜそう言う言い方が一般化したのか考察してみると面白そうです。ひとつは「自身の行動すべてに許可が求められる、周囲の不寛容性」、ひとつは「自身の行動への自信の無さ」、もうひとつは「自身の行動の影響性を、まずは多くの人に配慮する傾向」だと思われますが、個と多数との関係性に変化が起きているものと思ったりします。 ともかく、発表会だとかで「発表させていただきます」「調べさせていただきました」と言われると「許可を求められた覚えは無いし」と思ってしまいます。
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