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秋葉原事件 加藤智大の軌跡 朝日文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 朝日新聞出版 |
| 発売年月日 | 2013/06/07 |
| JAN | 9784022617668 |
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秋葉原事件
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秋葉原事件
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商品レビュー
3.7
28件のお客様レビュー
秋葉原事件の犯人である加藤智大の生涯を追った本。 幼少期の家庭環境から事件当日までを、なるべく詳細に丁寧に描かれている印象でした。 事件後の供述などの情報はほぼありません。 家庭環境や社会環境の影響が主たる問題提起だと思いますが、論理的にそれを説明するのではなく、本人の生い立...
秋葉原事件の犯人である加藤智大の生涯を追った本。 幼少期の家庭環境から事件当日までを、なるべく詳細に丁寧に描かれている印象でした。 事件後の供述などの情報はほぼありません。 家庭環境や社会環境の影響が主たる問題提起だと思いますが、論理的にそれを説明するのではなく、本人の生い立ちからの精神状態の流れを理解する事で、直接的に問題を考えさせられる良書でした。
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中島岳志氏による、秋葉原事件の軌跡を追ったノンフィクション。 個人的に、地域のバレーボールサークルで一緒になった方が、某新聞社で本事件を取り扱ったと伺い、兼ねてより興味のあった本書を手に取った。 過去、中島岳志氏の本は、戦前の日本におけるテロリズムを中心に読んでいたが、時系列的に...
中島岳志氏による、秋葉原事件の軌跡を追ったノンフィクション。 個人的に、地域のバレーボールサークルで一緒になった方が、某新聞社で本事件を取り扱ったと伺い、兼ねてより興味のあった本書を手に取った。 過去、中島岳志氏の本は、戦前の日本におけるテロリズムを中心に読んでいたが、時系列的には彼の問題意識の発端はこの事件にあったのかもしれない。彼は、他の著作でも、あらゆるものが資本主義下におかれてゆく中で、他者との自己との交流や、社会的承認を得られる場所を失った人々に対しての洞察を行っている。加藤智大は、まさしく過去のあらゆる場面での社会的承認を得るための機会、そして若年時の親からの一種の虐待的な躾により、社会的な関係性を結ぶための発話能力や、根底的な他者への信頼を失ってしまったように思える。これは、中島岳志氏がのちに描く朝日平吾(安田善次郎を暗殺した青年)の憂鬱にも重なるものがある。 本書でも、最終章において、マックス・ヴェーバーを引用しつつ、以下のように占めくくる。 国家が暴力の占有装置として定義され、機能する限り、このような私的な暴力の噴出は必ずや、治安維持的施策の伸長を促す。一方で、治安維持的施策の伸長は、根本的解決にならない。本質的に、加藤や、朝日が苦悩した鬱屈を理解はできないまでも把握し、その原因となる社会の在り方に関する議論が必要である。決して、安易にわかりやすい説明を求めてはならず、複雑な事象は、その複雑さを縮減せずに、一つ一つ積み上げながら語っていく必要がある。 私個人としても、その通りであると思う。改めて思ったが、私にとっての読書習慣や地域のバレーボールサークルへの参加は、心身や言語能力が、極度に資本主義化されないための一つの防衛機能なのかもしれない。外資系企業において、常にロジカルに、簡潔に、なおかつ数値をもって説明を求められる日々であるが、その言語様式に過度に侵蝕されてしまうと、普段の発話、さらには価値観さえも所謂ビジネスライクなものとなってしまう。まさに、マルクス的に言えば、自分自身の人格さえも、疎外されてしまう感覚というものがある。あくまで仮説にすぎないが、西欧の人々は、このビジネスライクな行動様式、言語様式を、自分自身の全人格的なものとして捉えないための宗教的習慣や、家族とのふれあい、自然とのふれあいというもの一定程度発達しているからこそ、こうした資本主義社会へ一種の適応ができているのかもしれない。日本人に、ビジネスライクな様式を全人格ととらえさせないような代替的かつ包摂機能を持つコミュニティはあるのだろうか。 ここから、大きく脇道にそれるが、最近別途読んだ『日本の国民皆保険』(島崎謙治氏)では、日本における社会保険制度は旧来のコミュニティである「地域=ムラ」と「職域=カイシャ」を母集団として形成することで、疑似共同体的な機能を演出してきた。社会保険とは、同じリスク集団にある人々が互いにお金を出し合い、コミュニティ成員内で不幸に見舞われた(=リスクが表出した)人々へ支援の手を差し伸べることを主な目的としているが、そうしたリスク集団を形成するためには、一定の共感的な意識が必要である。社会保険制度の成立時、日本で機能していたコミュニティとは、まさに地域と職域であった。日本人にとって、会社の同僚は、仕事仲間以上の共感を持つ対象であった。 一方、そうした共感の母体となっていた日本型雇用慣行は現在、変革を目の前にしている。雇用が流動化すれば、やはり過去ほどの共感を仕事仲間に持つことは難しいかもしれない。さらに、地域は、若者の流出により、再生産機能を失い、かつての活気を持つことが難しいエリアも多くなっていく。 こうした、日本人の元来のコミュニティである職域と地域というものが危機に瀕していく中で、またしても加藤のような孤独を生む出す危険性は大きくあるだろう。 彼は最終的に、借金により地域を追われ、派遣切りや度重なる転職により職域という社会的承認装置をいずれも失った。そうして最後に承認を求めたネット空間にも、事件直前では無視された。彼が自己効力感や自己肯定感を持つための地盤は悉く失われていたのである。 私個人としては、日本におけるセーフティネットをどのように維持するか、ということをテーマに仕事をしているが、状況を踏まえても、日本型雇用慣行の延命によるセーフティネット機能の維持は不可能であるように思える。しかしながら、こうした事実を直視せずに、日本社会の変革を推進することは欺瞞であり、行うべきことではないとも考える。 いつものことながら、まとまりのない文章となってしまったが、加藤が示した、社会の病理から、目を背けてはならないし、社会の成員として、ボロボロでもなんでも、この社会を維持する方法を常に考え続けなければならない。
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死刑制度の本を読み終わったタイミングでこの犯人の死刑が行われて、それが対してニュースにならず、こうしてこの事件も忘れ去られていく気がして、そしてこの本読んだら、あまりに衝撃的で。ふとすれば、自分もこうなっていたかも知れない、犯人が犯人となってしまう数秒前までの数年間の生い立ちや境...
死刑制度の本を読み終わったタイミングでこの犯人の死刑が行われて、それが対してニュースにならず、こうしてこの事件も忘れ去られていく気がして、そしてこの本読んだら、あまりに衝撃的で。ふとすれば、自分もこうなっていたかも知れない、犯人が犯人となってしまう数秒前までの数年間の生い立ちや境遇を通して培われた考え方は、ある意味そうなってしまって当然で、しかしそれが数秒後に起こす事件は絶対に許してはならず、同じ事が連日ニュースになっている今の事件にも言える。そんな事件が繰り返される。 死刑執行までの日々、彼は何を考えて、何を社会に伝えたかったか?あと20年経って彼が生きていたらその心境はどう変化するか?今となってはもう分からない。死刑としてそれが償われると同時にそれも分からなくなった。
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