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文楽の歴史 岩波現代文庫 学術295
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文楽の歴史 岩波現代文庫 学術295

倉田喜弘【著】

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文楽の歴史 岩波現代文庫 学術295

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 2013/06/17
JAN 9784006002954

文楽の歴史

¥550

商品レビュー

3.5

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2013/09/15

・倉田喜弘「文楽の歴史」(岩波現代文庫)にかういふ一節がある。「浄瑠璃は、当初から三味線と一体だったと思われがちだが、それは違う。義太夫の活躍初期、宇治加賀掾も豊竹若太夫も、謡の名手であった。とくに加賀掾は、謡を強く意識している。義太夫も同様であったと考えている。三味線の有無は議...

・倉田喜弘「文楽の歴史」(岩波現代文庫)にかういふ一節がある。「浄瑠璃は、当初から三味線と一体だったと思われがちだが、それは違う。義太夫の活躍初期、宇治加賀掾も豊竹若太夫も、謡の名手であった。とくに加賀掾は、謡を強く意識している。義太夫も同様であったと考えている。三味線の有無は議論の分かれる第一の点である。」(「はじめに-文楽 の歴史を探る」2頁)正直なところこれは驚く。所謂古浄瑠璃の時代はともかく、義太夫まできてもなほかつ三味線の有無が議論になるのかと思ふ。それは自明ではないのか。義太夫節に太棹三味線は切つても切れない関係にあるのではないのか。考へてみれば、私はまともな文楽の歴史の書を読んだことがない。古浄瑠璃の時代も同様である。それだからこそ三味線の有無などといふことは考へたことがないのであつた。正に、私は「浄瑠璃は、当初から三味線と一体だったと思」つてゐたのである。そんな書を読んでゐれば、そこから「三味線や人形の歴史は多分に無視されてきた。」(同前1頁)のに気づいてゐたはずである。無知 と思ひ込みの為せる業であつた。本書からこれに対する解答が与へられるかといふと、事はさう簡単ではない。無視されるには無視されるだけの事情がある…… さう、史料がないのである。無い袖は振れぬ、書きたくても書けないのである。「そこで本書では、演繹や帰納、一口で言えば推測も交えて、可能な限り歴史の 構築を試みた。」(同前)といふことになる。あくまで少ない史料と状況証拠等から考へるのである。先の三味線の問題、筆者は当初から浄瑠璃と三味線が一体であつたのではないと断言するのだから、これはまちがひないのであらう。問題はその後である。 ・本文は第一章「文楽の夜明け」に始まり、第八章「文楽の国家保護」に終はる。松竹の時代から国立文楽劇場に至る最近の動きを含めて、正に文楽、人形浄瑠璃の通史である。最初は古浄瑠璃の時代である。仮名草子作者浅井了意によれば、「虎屋喜太夫は『太平記』を語るが、平家琵琶、幸若舞、謡曲などをつき混ぜ たようなフシだ。」(5~6頁)素人考へでも、ここに三味線の入る余地はなささうである。宇治加賀掾の芸論の冒頭、「『浄るりに師匠なし、只謡を親と心得べし。』と言い切る。」(7頁)謡曲に三味線が無縁であることからすれば、かう言ひ切られてはここにも三味線の入る余地はない。ところが、加賀掾は「扇子拍子は、語り出すさきのくらいをすゝめんとおもふか、しづめんと思ふ時はうつへし。」(8~9頁)と書いてゐる。古浄瑠璃が謡如きものであつたとしても、 どうやら三味線と全く無縁であつたのではなささうである。ただし、それは現在の義太夫とは違ふ。「三味線はどう弾いてもよい。浄瑠璃のフシと関係なく、演者の気分任せである。」(10頁)つまり、古浄瑠璃の時代は現代からは想像もつかないやうな浄瑠璃が語られ、(もしかしたら)三味線が弾かれてゐたらし い。その加賀掾一座に入つたのが後の竹本義太夫であつた。竹本座創設の後、「義太夫は段ごとの語り口はもとより、フシの『三重』『ヲクリ』『フシ落ち』、 あるいは感嘆詞などを整理して、徐々に楽曲の体裁を調える。」(20頁)この頃には三味線の使用は増してゐたらしい。番付に三味線弾きの名が載つたりもし た(18頁)。しかし、その三味線を具体的に記すことはできないらしい。どんな三味線を使つてどのやうに弾いたのか、これは分からないらしい。三味線弾きの名しか分からない状況なのであらう。残念である。義太夫はどんな三味線で語つてゐたのか、是非知りたいと思ふ。本書がその手引きになるかどうか。

Posted by ブクログ

2013/08/21

橋下行政でにわかに注目された感もあり、それを受けての執筆のような気もする。 補助金削減に対して苦言はされていないが、やはり文化遺産として残されていくことを希望されている。 歴史ということではありますが、明治後半、昭和に入る頃、戦後まもなくから、他の娯楽に押されて、何度か衰退の憂き...

橋下行政でにわかに注目された感もあり、それを受けての執筆のような気もする。 補助金削減に対して苦言はされていないが、やはり文化遺産として残されていくことを希望されている。 歴史ということではありますが、明治後半、昭和に入る頃、戦後まもなくから、他の娯楽に押されて、何度か衰退の憂き目にあっている。 今後も、歌舞伎のようなある種の人気を興業努力とみなすことは浄瑠璃にはできないだろうな。 それを何とか努力しろというより、完全に無形遺産として保護する方向性を見出だした方がいいと思う。

Posted by ブクログ

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