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慈雨の人 韓国の土になったもう一人の日本人
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 河出書房新社 |
発売年月日 | 2013/02/25 |
JAN | 9784309021645 |
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慈雨の人
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日韓の関係が最悪だったときにさえ、愛されていた日本人。 1000人以上の孤児や迷い子を救い、当時社会福祉の概念の薄かった韓国の地の保育園で、子供たちを守り、育てあげた人がいたことを、はじめて知りました。 広い世界を知りたいと故郷を飛び出した彼が、英語やドイツ語、韓国語などさまざ...
日韓の関係が最悪だったときにさえ、愛されていた日本人。 1000人以上の孤児や迷い子を救い、当時社会福祉の概念の薄かった韓国の地の保育園で、子供たちを守り、育てあげた人がいたことを、はじめて知りました。 広い世界を知りたいと故郷を飛び出した彼が、英語やドイツ語、韓国語などさまざまな言語を習得し、多くの人との縁を築きながら歩んだ軌跡が、フィクションも交えながら綴られていました。 金策に追われ、韓国人からも日本人からも敵対視されながら、なんでこんな思いをしてまで…と心が折れそうになったこともあったでしょうし、粗食、粗衣で常に子どもたちを優先させてきた姿勢が、最終的には人の心に届いたんですね。 こんな風に誰かのために奔走出来る人になりたいです。 私には本書で書かれてるような天啓、というものがまだよくわかりませんが、もしかしたらそういうものもあるのかもしれませんね。 それから、嘉伊智さんのお父さんが言われた、「物事に到達点などない」という言葉がすごく刺さりました。 なんというか、確かに偉業を成し遂げた素晴らしい人の話なんですが、それだけじゃなくて、この時代の空気感が好きでした。
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日韓併合時代、韓国の孤児院で千人以上の子供達を 育てた増田嘉伊智の一生。 明治維新の前年、山口県で生まれた嘉伊智は幼い頃から語学力に優れ 中国語を学んだ事により、世界を見てみたいと思うようになり 江戸時代に唯一開かれた海外との玄関口であった長崎へ行く この時代に嘉伊智を快く送り...
日韓併合時代、韓国の孤児院で千人以上の子供達を 育てた増田嘉伊智の一生。 明治維新の前年、山口県で生まれた嘉伊智は幼い頃から語学力に優れ 中国語を学んだ事により、世界を見てみたいと思うようになり 江戸時代に唯一開かれた海外との玄関口であった長崎へ行く この時代に嘉伊智を快く送り出した両親の寛大さと彼の行動力に驚く。 長崎に渡り炭鉱夫を経て小学校で働きながら英語を教わり香港 台湾へと渡る、その頃にはドイツ語にも通じるようになる 事業でも成功を収め金・酒・煙草に不自由がない放蕩の毎日を 送るようになる。そんな頃、九死に一生を救ってくれた見ず知らずの 韓国人にもう一度会うために韓国へ向かう。 嘉伊智が韓国に入った頃、日清戦争・日露戦争の勝利は日本を 朝鮮支配に向かわせていた。嘉伊智が働き出したのはキリスト教 青年会の英語教師だった。のちに妻となる瀧子と出会い洗礼を受け 伝道師となります 明治から大正に変わり朝鮮では祖国の独立を願う声が高まっていた頃 嘉伊智は満州・韓国に孤児院を開設していた佐竹音次郎と出会う 佐竹の人柄に触れた嘉伊智は瀧子を巻き込んで手伝うようになりその後 院を任されることになります。 嘉伊智と瀧子は孤児たちのお父さん、お母さんになり 子供達に遊んで、食べて、学ばせるだけではなく将来のために手に職を つけさせる事もします。しかし院の経営は常に資金不足・食料不足 嘉伊智はリヤカーを引き物乞いに歩く毎日、そんな嘉伊智に日本人からは 売名行為、日本人の面汚しと罵倒され、韓国人からは子供達に 日本の愛国心を植え付けようとしている、日本政府の手先 子供達を返せと罵倒され続ける、それでも嘉伊智は子供達の為に リヤカーを引き続けます 嘉伊智が78歳の時、戦争が終結し朝鮮は35年におよぶ日本支配から 脱する事になる。多くの日本人は朝鮮半島から追放されることになるが 嘉伊智と瀧子は韓国から特別に永住権を与えられる 嘉伊智は新生韓国での恩恵を受ける数少ない日本人で ある事への懺悔と日本がどうなっているのか確認するため 世界平和の行脚をするために日本に戻るが 行脚をしている間に嘉伊智は韓国に帰れなくなっていた 国交が回復していなかったのだ 嘉伊智が帰れないまま瀧子が亡くなってしまう 瀧子の葬儀は反日感情を乗り越えて国葬に準ずるかたちで行われます どんな時も嘉伊智を支え日本に行く時も快く送り出してくれた滝子 嘉伊智の無念は計り知れない。 その後も全国を行脚をしてまわり国内のクリスチャンにも知られるように なると嘉伊智を韓国へ帰そうという運動が起こり色々な人の支援の おかげで13年ぶりに韓国の地に降り立つことができる。 このとき嘉伊智94歳。 嘉伊智を待っていたのは数え切れない韓国孤児たち 最後のわずかな時間を子供達に囲まれ韓国で過ごすことができた これからも韓国の地で瀧子と一緒に子供達を見守り続けるのだろう 増田嘉伊智の人生は人との一期一会、めぐり会いは必然のように 思えてなりません、多くの救済者、援助者が現れて 彼の道を拓き行き先を照らす それは嘉伊智の人間力によるものかも知れません。
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