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会津藩はなぜ「朝敵」か 幕末維新史最大の謎 ワニ文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | ベストセラーズ |
発売年月日 | 2013/01/21 |
JAN | 9784584393239 |
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会津藩はなぜ「朝敵」か
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会津藩はなぜ「朝敵」か
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私の場合は、歴史の授業で単に「明治維新」ということで片付けていましたが、ある時期までは長州征伐を行っていた幕府は、旧幕府軍ということで、鳥羽伏見の戦いでは賊軍の扱いを受けることになっています。 この本を読んで、最後まで幕府に忠誠を誓ってきた会津藩が全責任を負う形でひどい扱いを受...
私の場合は、歴史の授業で単に「明治維新」ということで片付けていましたが、ある時期までは長州征伐を行っていた幕府は、旧幕府軍ということで、鳥羽伏見の戦いでは賊軍の扱いを受けることになっています。 この本を読んで、最後まで幕府に忠誠を誓ってきた会津藩が全責任を負う形でひどい扱いを受けたのだということが分かりました。いまだに、会津では長州の人は嫌われているというのは本当の様ですね。 ただこの本を読んで分かったのは、会津と相対していた長州だけでなく、会津をとりなす力を持っていたはずの御三家の藩や、前田藩などを始めとした西日本の藩がそろって日和見を決めたことも会津藩の運命を左右していた様ですね。 幕末から明治にかけての明治維新は、見方を変えれば薩長等によるクーデターであったので、その動きが実際にどうであったのかは、今後とも両者の立場から書かれた本を読みながら事実に迫ってみたいと思いました。 以下は気になったポイントです。 ・教科書によれば、1867.12.9に、岩倉・西郷・大久保らは、武力で徳川氏を倒すために、薩長藩兵が警護する御所で、薩摩・土佐・安芸・尾張・越前の5藩が参加する会議をひらき、王政復古の大号令を発した、その夜、土佐藩などの反対を抑えて、徳川慶喜の官位・領地を朝廷へ返させる小御所会議を開いた(p6) ・新撰組による池田屋事件は、正当な警察活動であり、罪を問われるべきは、京都に火を放ち、天皇を拉致した長州藩士の国家転覆罪である(p59) ・禁門の変において、長州藩が御所に砲撃を加えた事実をほとんど書いていないのはおかしい(p62) ・仙台藩主の松平容保は、駿府への転封を徳川慶喜から打診されて、説得に応じた。孝明天皇死去の後に、京都守護職を辞職して仙台に変える予定であった(p81) ・会津が朝敵でないとされる理由のひとつは、でっちあげられた偽の蜜勅であること(p102) ・徳川慶喜に代わり、有栖川宮が総裁、仁和寺宮・山階宮ら5人の公卿と、薩摩・尾張・越前・安芸・土佐の5人藩主が議定となって合議制で政治をすることになった、実務は、5人の公卿と、5藩から3人ずつの合計20名の参与が行う(p115) ・徳川慶喜、松平容保、定敬に対する処分は一方的にされた、これが武力革命の革命たるゆえんである(p117) ・山本覚馬は、会津に戻って火縄銃を廃止して洋式銃に切り替えようとして反対され、一年間の禁足処分になった(p144) ・明治維新の年の秋までは「明治」という元号は存在せず、あったのは薩長の臨時革命政権であった(p163) ・西郷と勝との二度目の会談において、両者とも事前にパークスと会っている(恭順した慶喜を討つのは国際法に反する)ので、お互い「あうん」の呼吸で江戸城無血開城で話が進んだ(p164) ・西日本は弥生式文化をもった中国からの渡来人が中心、東北はシベリア大陸からやってきた縄文人が中心であり人間のルーツがそもそも異なる(p175) ・米国の軍艦ポーハタン号の館長を見て感銘を受けたのは、そこでは上に立つ人間ほど仕事をすることであった(p179) 2014年2月23日作成
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