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どうしてこの国は「無言社会」となったのか
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 産学社 |
発売年月日 | 2012/12/22 |
JAN | 9784782571033 |
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どうしてこの国は「無言社会」となったのか
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商品レビュー
3.7
9件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
印象に残った言葉たち↓ 日本人にとって、意見を持つこととそれを表明することは別。 個人よりもまず先に集団があり、集団の合意があるか分からない状況で意見や主張を通そうとするとワガママ、自分勝手と捉えかねない。 仕事で『はっきり言わないと分からないのはバカ』=『はっきり言わなくてもわかってもらえる』甘えの上に成り立つ。 日本では人が言い間違えをしたとき、笑いが生まれる。それはおそらく緊張からの解放によるものだが、笑いの種類としては『揚げ足とり』の笑いである。 そうした習慣があるため日本人は話す内容ではなく、話し方を気にしている。 男性高齢者が陥るパターン。 会社(『無言』が通用する世界、一を聞いて十を知るを求められてきた世界)でずっと働いてきた人は、定年退職後に会社との関係が切れると家族、近所から「構われない孤独」に陥る。 加えて、高い地位にまでのぼりつめた人は、過去の栄光を話したがる。(みんな感心して、近づいてきてくれるだろうとの期待)しかし周りは無神経な人ととらえてしまう。 日本人ほど集団嫌い&人間不信に陥っている人々も珍しいのでは?→そもそも日本的コミュニケーション(はっきり表現しない=お互いに腹を探る、ことばから真意を読み取る努力が不可欠)が不信の原因。 自分のことを「コミュ障」と自虐的に呼ぶ人が多いのは、社会が「適切なコミュニケーション」を過大評価し、この社会で生活する私たちがその評価を重視するから。その根底には「社会がすべて」と考え、社会が提示する価値基準はすべて「絶対」とみなす思い込みがある。
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社会学者によるデュルケムのなんちゃらとか難しいこと一切無しの軽〜いエッセイです。先生の博論「自己コントロールの檻」では、社会の心理主義による自己崇拝社会が到来し、「本当の感情」や「感情を害さない優しさ」「相手の気持ちを理解すること」などが求められ、超高度な感情コントロールが要求さ...
社会学者によるデュルケムのなんちゃらとか難しいこと一切無しの軽〜いエッセイです。先生の博論「自己コントロールの檻」では、社会の心理主義による自己崇拝社会が到来し、「本当の感情」や「感情を害さない優しさ」「相手の気持ちを理解すること」などが求められ、超高度な感情コントロールが要求され、そこから逸脱する人を監視し、自分も逸脱しないよう更に自己コントロールに励むという地獄を指摘したのでした。あれから約15年、あの地獄は、ついに「無言社会」となりました。今回は恥の文化やちっとも集団主義じゃない日本人など、無言社会における人々が共有している社会文化的側面を書いています。文化心理学は心の性質そのものが文化と表裏一体のものとします。現代日本社会はお馴染みの甘えの構造は維持されたまま、かまわない、かまわれない自由を謳歌したい。そして孤独死社会や無縁社会と言われるまで極まった模様。さらに地獄は広がっていったようです。最後に「じゃぁ、どうすればいいのか?」について軽く触れられてますが、社会の外に出るか出ないかみたいな話になるのですが、さすがにそれは若者には難しいんじゃね?と思いました。
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日本人にも自分なりの意見はあるが、それを表明することはしない。周囲への配慮があるからである。 そして無言という「サービス」は現代になり更に加速している。 最近話すことが減ったなと思う自分。仕事もプライベートも何も話さなくてもやっていける社会になってしまった。 周りの大人がそう...
日本人にも自分なりの意見はあるが、それを表明することはしない。周囲への配慮があるからである。 そして無言という「サービス」は現代になり更に加速している。 最近話すことが減ったなと思う自分。仕事もプライベートも何も話さなくてもやっていける社会になってしまった。 周りの大人がそうしているように自分も「ちょっとした一言」をケチるようになってしまったのだ。 自分には結構大事な問題だと思った。
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