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京のわる口 平凡社ライブラリー773
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 平凡社 |
発売年月日 | 2012/10/12 |
JAN | 9784582767735 |
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京のわる口
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京のわる口
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商品レビュー
4.5
3件のお客様レビュー
「しょもない」「しょうのない」。これらはどちらも、東京の「仕様がない」に比べて一段と人性をえぐる、と評されつつも、さらに上回るのが「しょうもない」だそうだ。一文字違うだけでわる口としての度があがる、らしい。 京都の人の本音はわかりにくい。まともにとったらあかん、ということは薄々...
「しょもない」「しょうのない」。これらはどちらも、東京の「仕様がない」に比べて一段と人性をえぐる、と評されつつも、さらに上回るのが「しょうもない」だそうだ。一文字違うだけでわる口としての度があがる、らしい。 京都の人の本音はわかりにくい。まともにとったらあかん、ということは薄々知っているものの、この「しょうもない」三兄弟のような使い分けなど、余所者にわかるはずもない。 けど、そういうわかりにくい言葉を、海外から見れば僕ら日本人みんなが使っている。 言語明?・意味不明は政治家のための言葉ではなく、京都の人が過去に指摘されているそうだ。そう、京都のわる口はわざとわかりにくくなっているのだ。言質を取らせず相手に責任を取らせるための話法。世渡りの武器。 それが、日本語のベースになっているのだ。 軽く京都の言葉を笑い飛ばすような本ではなかった。恐ろしさがぎっしりつまりながら、ふんわりとしたもので包まれている。いや、断定しちゃあかん。ここは「違うのと違うやろか」というような、ジャブのようでいて実はボディーブローのような言葉で語らないとね。
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・秦恒平「京のわる口」(平 凡社ライブラリー)は京都に対する悪口の書ではない。「ことわっておくが、『京都』や『京都の 人』に悪態をついたり、悪口雑言したりするのが目的で書きだそうというのでは、ない。(中略)『京都の人』同士でふだん頻繁に使っている 『わる口』、いわば辛口の『批評語...
・秦恒平「京のわる口」(平 凡社ライブラリー)は京都に対する悪口の書ではない。「ことわっておくが、『京都』や『京都の 人』に悪態をついたり、悪口雑言したりするのが目的で書きだそうというのでは、ない。(中略)『京都の人』同士でふだん頻繁に使っている 『わる口』、いわば辛口の『批評語』について、その使いでや、使い道を考えてみようというのが目的なのだ。」(「使いで」の「で」に傍点 つき、10~11頁)なぜか。「ことに京都のように久しい政治都市、文化都市、ごく歴史的にながめて貴賤都鄙の集約された市民社会では、 まさに、『口のききよう』ひとつが、勝たないまでも負けまいと生き抜くための文字どおり武器であった。」(12頁)からである。しかもそ れが「人と人、我々と彼ら、の間でのいわば『位取り』にキツい刺激を与えてきた」(同前)のである。実は、この「位取り」なる語が本書の キーワードである。本書は増補版である。初版に「京ことば談義」なる章題の下に4篇のエッセイを増補してある。これも含めて、あちこちで 「位取り」に言及されるが、それは圧倒的に増補エッセイに多く、最後まで読んで、この最初の「位取り」の重要さに気づくのである。 ・最初のエッセイは「京言葉と女文化」と題されてゐる。これは「物を言う『位取り』の意識」という小見出しから始まる。その例としてまづ 挙げるのが源氏冒頭、その京言葉訳である。「どなたさんのご時世やったンやろか。」(「やつたン」の「ン」は小字、173頁)と始まる自らの訳文をかう評してゐる。「いかにも、『わる御達』の、ひねって意地わるげな物言いが耳立つありさまは、予期以上におかしかった。」 (175頁)しかも、これが実際の京言葉で話されると、「まちがいなく、かなり癖のつよいイヤぁ味な女の物言いに聞こえる」(同前)のださうである。私は源氏にさういふものがあると思つたことはない。意外である。秦はかういふ物言ひにより「原文の端々、隈々が畳みこんでい た、語り手の微妙な『位取り』が見えてくる」(同前)と言ひ、「もともと『源氏物語』は、たぶん、そういう感じに語られているという設定ではなかったか。」(同前)とも言ふ。源氏桐壺冒頭も京言葉で見ると、「その辺の、女同士らしい籠もりぎみに意地を張り合った感じ」 (176頁)が出てくるらしい。かうなると私の如き源氏のごく表層さへ理解できてゐるかどうか分からぬ人間には、正に理解し難いところが ある。それでも例の紫式部日記の清少納言評の京言葉訳はおもしろい。「これはもう『位取り』も何もない。」(190頁)と秦自身が言ふほどの訳である。私から見ても、これは相当なものだと思ふ。これもまた逆説的ながら『位取り』に関係する。要するに「彼女らは、心底の身内と心得ていた」(「身内」傍点付き、同前)といふことである。自分との位置を考える必要を認めないから、勢い苛烈な口吻となるのである。 かういふことを書いてゐたらキリがない。本書のほとんどはこれである。しかもこれは京言葉だからこそできること、「負けない手だてとしての、言葉」(193頁)たる京言葉には「古来ホメ言葉は寡なく、クサス言葉には際限がない。」から、かういふことはいくらでもできるので ある。本書の中心は「京のわる口」、50数章の悪口、いや批評語に関する短文からなる。きいたことがある程度で意味の分からない語が多く、しかもそれが「位取り」に関係する。かういふ細かいニュアンスは他郷、いや「田舎」の人間にはまるで分からない。それが京都といふも のなのであらうと、私などは源氏の京言葉訳を見ながらため息をついてみるのであつた……。
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文庫で再刊されました。おっとり優しげと誤解されがちな京言葉を「位取り」をキーに読み解く、その鮮やかさにいちいち頷いてしまいます。京都市民以外にどれだけ理解可能か微妙な気もしますが。 白眉は、「源氏物語」と「枕草子」を現在の京言葉で訳した京ことば談義。ただ単語の分析に終わらず、...
文庫で再刊されました。おっとり優しげと誤解されがちな京言葉を「位取り」をキーに読み解く、その鮮やかさにいちいち頷いてしまいます。京都市民以外にどれだけ理解可能か微妙な気もしますが。 白眉は、「源氏物語」と「枕草子」を現在の京言葉で訳した京ことば談義。ただ単語の分析に終わらず、文化論としてこれまた鮮やかに胸にこたえます。
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