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精神分析と自閉症 フロイトからヴィトゲンシュタインへ 講談社選書メチエ534
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2012/09/12 |
JAN | 9784062585378 |
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精神分析と自閉症
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商品レビュー
4.5
2件のお客様レビュー
副題の「フロイトからウィトゲンシュタイン へ」何が手渡されたのか、というあたりが気になって手にとった。内容も素晴らしいのだけど、巻末の謝辞の最後の一言まで丁寧に書かれていることにも驚く。 まず、フロイトの最初期の草案についての解説と、自閉症についての解説が続く。 最後のまとめ...
副題の「フロイトからウィトゲンシュタイン へ」何が手渡されたのか、というあたりが気になって手にとった。内容も素晴らしいのだけど、巻末の謝辞の最後の一言まで丁寧に書かれていることにも驚く。 まず、フロイトの最初期の草案についての解説と、自閉症についての解説が続く。 最後のまとめとしてウィトゲンシュタインを登場させるのだが、この章が丁寧ではあれどやや駆け足なので、ある程度はウィトゲンシュタインについて「知っている」のが必要となるかもしれない。特にフロイトも自閉症についても一般的な認識があれば読み進めるに問題ないと思う。 自閉症について、ニコラス・ハンフリーは『喪失と獲得』において、洞窟壁画は「最初の抽象画」ではなく「最後のイノセント」として捉えていたが、本書においても自閉症についての捉えなおしは必然的に起きたし、ウィトゲンシュタインの独我論としての思想についても独我論が「理解」できたと感じた。 快・不快、無限の表現、「社会」という存在の捉え方、隠喩、1階2階、哲学者登場、そして名探偵登場。 と、興味が最後まで続く。
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初期フロイトの思想を考えなおし、精神分析の観点から自閉症について考えるための新しい視角を提供している本です。 著者は、初期フロイトの「心理学草案」というテクストに着目します。これまでは、快感原則と現実原則の調停に関して、社会的規範をどのように内面化するのかという観点から解釈され...
初期フロイトの思想を考えなおし、精神分析の観点から自閉症について考えるための新しい視角を提供している本です。 著者は、初期フロイトの「心理学草案」というテクストに着目します。これまでは、快感原則と現実原則の調停に関して、社会的規範をどのように内面化するのかという観点から解釈されてきましたが、著者はそうした解釈を「量の大きさ」解釈と呼び、これに対して「変化速度」解釈という立場を打ち出しています。それは、快感原則は単純に内因性の興奮の外延量に基づくのではなく、内包量すなわち「強度」に基づいているというものです。この立場では、快感原則と現実原則の調停は、内因性の興奮の最強度の部分を「抑圧」し「緩和」することによって果たされると考えられることになります。 さらに、「量の大きさ」解釈では、社会的規範を内面化する際に「父」なる第三者の介入があったとするエディプス神話が、現実に起こった出来事ではないにせよ、それに準ずるような仕方で説明されていました。これに対して「変化速度」解釈では、エディプス神話を現実に起こった出来事だと考える必要はありません。この意味で「変化速度」解釈は、ラカンの立場に近づくことになります。貨幣や専制君主といった第三者は、快感原則の水準における「抑圧」ないし「緩和」によって「隠喩」的なかたちで現実原則と調停を果たします。一方、現実の法や経済の秩序のなかでは、それぞれの項が「換喩」的な仕方で相互に関係を取り結んでおり、そのなかをどんなに動き回ったところで、一般性を持った社会秩序の内部で限りなく回送されつづけることになります。こうしてわれわれは、快感原則における最強度の部分を「抑圧」ないし「緩和」することで、一般性をもった社会秩序への信頼をはじめて獲得することになると著者は考えます。 そして著者は、こうした一般性をもつ社会秩序への参入を果たしえないとき、自閉症が生じると考えます。そして、自閉症の人びとがブリコラージュ的な仕方で現実原則への適応を果たしていることや、現代のライトノベル作品のなかに自閉症に通じる想像力が見いだされることを論じています。 最後に著者は、ウィトゲンシュタインの哲学と自閉症の関係について考察をおこないます。規則のパラドクスについての議論と自閉症を絡めるというやり方がすぐに思いつきますが、著者はむしろ『論考』に注目して、命題が事態の像だとする考え方がはじめて獲得されるときに何が起こっているのかということを考察していきます。そして、命題は真偽の領域を切り分ける仕方にすぎないという外延的な発想よりもさらに手前に、「何かを偽として排除する」否定の身振りによって、事態と像とのいわば根源的な一致が可能になるという見方を示しています。 正直なところ議論のつなぎ方にかなりの危うさを感じるのですが、同時にそれが本書の議論に魅力を感じさせる要因になっていることも否定できないように思います。
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