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戦後日本の人身売買
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 大月書店 |
発売年月日 | 2012/08/29 |
JAN | 9784272350360 |
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戦後日本の人身売買
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商品レビュー
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日本には古代から奴隷がいたし、人身売買はあった。それは明治維新後も、日本国憲法公布後も続いていた。 中世以前の人身売買、奴隷制度については別の本で読んだ。本書は戦後といいつつおおむね明治維新後の人身売買の経緯を追っている。 開国後、先進国への仲間入りを急がなければならなか...
日本には古代から奴隷がいたし、人身売買はあった。それは明治維新後も、日本国憲法公布後も続いていた。 中世以前の人身売買、奴隷制度については別の本で読んだ。本書は戦後といいつつおおむね明治維新後の人身売買の経緯を追っている。 開国後、先進国への仲間入りを急がなければならなかった日本は、工業化など産業革新に注力した。その中で零れ落ちたのが人権意識であり、制度としては消えても精神に残る身分社会、家父長制が、人身売買をも引き継いだ。 家父長制における人身売買とは、つまりは子供の身売りである。子は親のものである、子は親に尽くすものである、そうした意識が、「子供を売る」という行為に繋がる。本書では人身売買に関する法制度の歴史に注目しているが、他人を誘拐して売り飛ばす行為には厳罰を課しても、我が子を売る行為には寛大であった。鶏が先か卵が先かではないが、身売りに寛大な国民性が身売りに寛大な法律を作ったのか、身売りに寛大な法律があるから国民性が身売りに寛大になるのか、一概に言い切れないのが難しい所である。 明治以後に問題になる人身売買の形態は、「前借金」というものが特徴的である。 最初にまとまった金を、本人でなく親に渡す。これを子供が働いて返済するという格好になる。 買い手と売り手の間に周旋人(性風俗で働く女性を集める者を特に女衒という)が入り、親に金を渡して子供を連れて行き、あとは行方も生死もわからない、そんなことが当たり前にあった。 故郷を離れて働く形態としては「出稼ぎ」というものもあったが、これには前借金はなく、働いた分に応じて収入があった。タコ部屋労働、炭鉱労働などにおいては出稼ぎ先で酒や賭博を教えて借金を負わせてしまうという手法もあったが、少なくとも前借金で縛るものではなく、本書でも記述はない。のでここでは割愛する。 この前借金で縛るシステムは、労働者が自発的に辞める自由を持たないため、国際的には事実上の人身売買とみなしている。しかし日本政府は「厳密な意味での人身売買ではない」と言い張り続けている。ちなみにいえば海外でもそうした借金縛りの手法がないわけではないだろう。 性風俗産業に関してはこの前借金や贅沢や薬物を覚えさせて借金を作らせる手法が今でも残っているようであるし、新たなスタイルとしては外国人技能実習生という形で農業や漁業において安価な労働力として使われる外国人の存在がある。日本に行けば稼げると話を持ちかけられ、ブローカーに大金を払って日本に渡るが実態は最低賃金にも満たない薄給と休みもろくにない過酷な労働だったりする。それでいて辞めようにもブローカーに支払うために作った借金があるし、日本で別の働き口を探そうにもビザ等の関係で不法就労とされ、強制帰国させられてしまう可能性もある。 そうした立場の弱さにつけ込んだ不平等な雇用体系を、現代の人身売買、奴隷制度と呼ぶこともあるわけだが、農業、漁業に関しては本書にあるとおりほんの半世紀ほど前までは子供を安価な労働力として使役していたわけで、その矛先が外国人に変わったに過ぎず、決して新しいものではないという指摘もできる。 日本においてこういう形での人身売買、奴隷制度が根強く残っている理由として、先述の身売りに寛大な国民性のほかに、こうした人身売買が経済政策、貧困対策として機能してしまっているという事実がある。 現代においても、シングルマザーが時給だけでなく託児所があるという理由で性風俗産業に従事する例がある。フィクションだが高橋留美子の「めぞん一刻」の中で、保育士を目指す主人公の五代がキャバレー内の託児所で勤務するエピソードを覚えている向きもあろう。より多くの女性を集めるために性風俗産業はあの手この手を尽くすし、公的な補助はどうしてもそれに追いつけないという事実がある。あるいはそういう性風俗産業のありように頼っている節もある(本書でも生活保護の相談に来た女性に対し、街娼にでもなればいいと職員が答えたエピソードを紹介している)。 産業構造が農業漁業などの第一次産業から工場等の第二次産業、サービスの第三次産業に急速に変化していくが、日本人の精神構造はすぐにはそれに追従できない。その歪みの狭間で零れ落ちた人々が数多くいたという歴史を忘れてはならない。 現在においてその歪みは幾分薄らいではきたが、それでも完全に解消されたわけではない。さらに言えば解消されるよりも先に、また社会の構造は先回りして変化してしまうことだろう。そうした変化のスピードに対応する力を、我々は身につけなければならないのだろう。
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藤野豊『戦後日本の人身売買』大月書店、読了。本書は、戦後10年に焦点を宛て、女性と子どもの人身売買の実態を明らかにした労作。敗戦による「民主化」した戦後日本社会の光と裏腹に人身売買は当然のこととして了解され、維持・正当化されてきた。本書の追跡と指摘は決して過去のものでもない。 刑法に人身売買罪が新設されたのは、8年前の2005年のこと。しかも、日本は人身売買に甘いという海外の批判を受けてのこと。暗澹たる気持ちになってしまう。そういうものに「目くじらをたてなくても」という構えが広く日本社会には共有されているという話しなんだろうけれども。
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なかなか強烈なタイトルだ。「人身売買」という言葉はきついが、これが「金銭と引き換えに、人が過当に過酷な条件で働かされる状態になる」ことを指しているとすれば、タイトル通りの本といってよいだろう。 新聞・雑誌記事、国会議事録、省庁の報告書等、多くの資料が調べ上げられ、戦後の「人身売買...
なかなか強烈なタイトルだ。「人身売買」という言葉はきついが、これが「金銭と引き換えに、人が過当に過酷な条件で働かされる状態になる」ことを指しているとすれば、タイトル通りの本といってよいだろう。 新聞・雑誌記事、国会議事録、省庁の報告書等、多くの資料が調べ上げられ、戦後の「人身売買」の事例が非常に丹念に拾い上げられている。 中心となっているのは、戦後まもなく、1950年代頃までの状況である。 初期には、戦災孤児や大家族の農村からの子どもの流出が多い。そうした子どもは漁村や工場・子守り等に「売られ」、就学できずに朝から晩まで働かされた例も多いようである。 その後、冷害や炭鉱閉鎖等、厳しい状況が発生するに連れ、子どもが消えていく。それは学齢時の子どもの長期欠課という形で現れる。 難しいのは、こうした「被害者」が、自分の家にいたままでは満足に食べられないほどの状況があったことである。食べることができ、状況によっては技術を習得することができて「手に職が付く」(漁村に売られた場合などは、漁師として後に働けるようになったりする)という側面もあり、実際、「加害者」サイドには、そのような主張もあったようである。 もう一種の被害者は女性で、これはいわゆる「身売り」である。昔から「家のために苦界に身を沈める」といった言い回しはあるが、家長による強制であるのか、自らの自由意志であるのか、取りようによってはどちらとも取れるところが難しいところだ。戦後は「特殊飲食店」という名称で、売春の場があり、そうした店に「売られた」例が多かったという。子どもの場合同様、冷害や炭鉱不況の地域出身の者が中心であったようだ。「身売り」の場合は、偏見もあり、子どもとはまた違う難しさがある。 そして現代では、被害者は外国人女性中心となってきているという。 最終章は、ある地域の「人身売買」を告発する著者vsイメージダウンを恐れるその地の行政当局の闘いの記録となっており、前段とは少々様相が異なる。これはこれで、この問題が過去のものではないことを感じさせる「臨場感」があって読み応えがある。 著者は行政の無策を断じているが、根本的な対策としてどういったものが効果的なのか、かなり難しい問題だと個人的には感じる。 とにもかくにも労作である。 *著者は著者で、本書執筆中、職を失いかけるなど、苦労されたようである。こうした分野で闘っていくのは大変なことなのだろうな・・・。 *炭鉱と言えば、九州か北海道と思っていたが、そうか、福島・磐城にもあったんだ、と読みながら思う。そう言えば、映画『フラガール』って、その炭鉱閉鎖前後の話だったよな・・・。 *うちの実家は豪農がいた地域。やはり冷害の後などは、うちあたりから飛田等に行った女性もいたそうで。そうなのかぁ・・・。
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