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手で笑おう 手話通訳士になりたい
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 汐文社 |
発売年月日 | 2012/08/25 |
JAN | 9784811388984 |
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手で笑おう
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障害を持つ人の社会的地位が低いと、本人はもちろん、その人の傍にいる家族も不利益を被る。不平等だ。 両親がろうでも、その子供が手話を覚えられないケースもあるんだ。両親も娘に頼り切っちゃってたんだろうな。弟が可哀相。彼は精神的なネグレクトを受けたように見える。 筆者が成長してからろう...
障害を持つ人の社会的地位が低いと、本人はもちろん、その人の傍にいる家族も不利益を被る。不平等だ。 両親がろうでも、その子供が手話を覚えられないケースもあるんだ。両親も娘に頼り切っちゃってたんだろうな。弟が可哀相。彼は精神的なネグレクトを受けたように見える。 筆者が成長してからろうの人たちとの間に感じた、「ろうと聴者の間の壁」を、手話を身に付けられなかったろうの両親を持つ子ども達は家庭で感じていたんだろう。 筆者と彼女の弟の母親は、筆者と母親が過ごすシーンを読むと、知的にはなんの問題もない女性だ。彼女は娘の気持ちや変化を敏感に察知している。良い母親だ。 はじめての子供である筆者を産んだ時、きっと彼女は必死に赤ん坊と向きあって、たくさん手話で語りかけたんだろう。子供が生まれると、どの動物も言葉が多くなる。 その時間が、母と子を情緒的に結びつけた。一緒に過ごした時間の分、母親は筆者を理解できた。また筆者は母親に頼られることで、困難も多かっただろうが、自分自身を確立していくことができた。 でも弟が産まれた時は、娘と一緒に過ごしたほど、息子に手を掛けなかったのではないかな?なんでもできる娘に世話を頼むことも多かった?推測しかできないけれど、ろう者の社会的地位も低い時代背景もあり、筆者の両親に育てられる子供はひとりが限界だったのかもしれない。 能力的にひとりしか育てられない時、二人いる子どものうち、両親から見て優れている方の子どもばかりに手を掛けるのは、フェアではないけれど理にかなっている。 もしも、ろう者を巡る環境や社会的地位が、現在と同じ程度であったら、レンナートのような子が孤独に苛まれることも少なかったろうに。 でも彼等の両親は、できるだけのことをしたんだと思う。 愚痴や泣き言をこぼすのは、満ち足りて幸せな人だけ。 母語は本当に大事な言葉なんだ。誰にとっても。その人が世界と関わるための自分を作る時に核となるのが母語だ。人は言葉によってその人自身になる。 ライオンズクラブ国際協会 http://www.lionsclubs.org/JA/ リズミカルで生き生きした手話は、優れた劇のように、見ている人の目と心に訴えかける。
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舞台はスウェーデン。1933年生まれの著者アンはろう者の両親の元に生まれた子、コーダとして育つ。小学3年生のときにポリオにかかり車椅子生活になったことで、自分自身も「障害者」といわれる立場になり……という内容の子ども向け自叙伝。 アンは姉弟の二人きょうだいで、姉であるアンは手話...
舞台はスウェーデン。1933年生まれの著者アンはろう者の両親の元に生まれた子、コーダとして育つ。小学3年生のときにポリオにかかり車椅子生活になったことで、自分自身も「障害者」といわれる立場になり……という内容の子ども向け自叙伝。 アンは姉弟の二人きょうだいで、姉であるアンは手話を覚えて両親と会話できるけど弟は手話が苦手で、長じるにつれて両親とは意思の疎通が難しくなっていきます。それは、アンのいとこの家も同じ。この「女の子は手話を覚えるけど、男の子は距離をおこうとする」というパターン、理由は何なんでしょうか? 国と時代を超えて日本でも見られることだと思います。もちろんどの家庭もそうという訳ではありませんが、共通する原因があるなら、幼い頃から何かサポートがあれば家族のコミュニケーションを守っていけるのではないかと思いました。 「体を使って話をすると、自分の意見を目に見える形で表せるので、気分がすかっとします。手話を使うと、口では言い表せない色々なことが伝えられるのです」(p105)には同意! 手話サークル帰りのときの爽快な気分はここから来ているんですね。 アンがスウェーデンろう連盟で働き始めたのち、1969年に手話通訳になりたい人のための講座が開かれます。日本でも1970年に手話奉仕員養成事業が開始されたので、このあたりの動きは同じような感じでしょうか? でも、同じ年に手話で授業をする国民高等学校が開かれたというのは、日本と比べてずいぶん早いスタートだと思います(まだまだ勉強不足なので間違っているかもしれませんが……)。 どの町にもろう者はいて、どの町にもコーダの子はいます。たくさんの小学生がこの本を読んで、手話を使う人たちの「考え方」「感じ方」を知るきっかけになったらいいですね。
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アンは耳が不自由な両親の元に生まれ、弟を含め4人家族で聾者の方が住む集合住宅で暮らしていました。アンは小学校3年生のとき、病気にかかり、歩行に障がいが残ってしまいます。そして、長引く入院生活のために学校での勉強が遅れがちに…。夜間高校への進学を経て、健聴者とろうの人とをつなぐかけ...
アンは耳が不自由な両親の元に生まれ、弟を含め4人家族で聾者の方が住む集合住宅で暮らしていました。アンは小学校3年生のとき、病気にかかり、歩行に障がいが残ってしまいます。そして、長引く入院生活のために学校での勉強が遅れがちに…。夜間高校への進学を経て、健聴者とろうの人とをつなぐかけ橋になりたいと願うようになります。その夢をかなえるために手話を広めるために、尽力していきます。
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