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シトー会 知の再発見双書155
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 創元社 |
発売年月日 | 2012/08/06 |
JAN | 9784422212159 |
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シトー会
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シトー会はモレームの修道院長ロベールによって1098年にはじまった修道会である。当時隆盛をきわめていたクリュニー修道会(909-)は、貴族から寄進をうけ、かわりに死者のため、荘厳な典礼を執り行うという役割を担っており、世俗化のただ中にあった。この世俗化から離れ、聖ベネディクトゥス(480〜550)の戒律を遵守し、1/10税を放棄し、「手の労働」で生活するという、修道生活の基本に立ち返ろうとしたのがシトー会の立場である。シトー会は1152年には338の修道院をたて、1250年ごろに修道院長が647人に上った(おそらく修道院の数と同じ)。1453年、コンスタンティノーブルが陥落して東ローマ帝国が滅ぶと東方のシトー会は打撃をうけ、1526年にハンガリーがオスマン帝国に敗れると当地のシトー会は壊滅、1790年にはフランス革命によって本拠地フランスでも活動が停止された。そののち復興され、現在までつづいている。第四次十字軍やレコンキスタに参加したが、海外宣教には参加しなかった。著者は中世考古学が専門で、シトー会の史的事実を考察している。初期の『戒律』遵守は100年ほどしか続かず、早い時期から1/10税も再び徴収し、しだいに領主化していき、1210年から小作制度を導入(このころドミニコ会・フランシスコ会創設)、1262年には修道士と助修士が小作人となることがみとめられ、1445年には広大な付属農場(グランギア、初期は徒歩一日の距離までと定められたが次第に形骸化)の売却なども認められる、といった変遷をたどった。17世紀後半にはラ・トラップ修道院のランセが改革運動を行い、厳律シトー会(トラピスト修道会)の分派ができる。トラピスト修道会は北海道にもあるそうである。シトー会を代表する人物は、クレルヴォーのベルナルドゥスである(1090-1153、教会博士、もとフォンテーヌの貴族だが、1112年、22歳の時、30人の家族を率いて入会、クリュニー会と論争、十字軍の兵士に説教、テンプル騎士団を賛美)。ベルナルドゥスの修道院は「地上のエルサレム」といわれた。シトー会の修道院は自然と調和した「自ら入る牢獄であり、また天国でもある」理想的修道院として称えられた。シトー会は制度面で『愛の憲章』(伝ステファヌス執筆)をもっており、クリュニー修道院のように娘修道院を序列化せず、四つの母修道院(ラ・フォルテ、クレルヴォー、ポンティニー、モリモン)の院長が娘修道院の規律を視察するほかは、ほとんど自治にまかされていた。耐えがたい貧困の場合は他の修道院が援助を行った。年に一回、すべての院長があつまる「総会」で重要事項を話し合った。これらの制度は当時としては、中央集権と無政府状態のどちらにも陥らない革新的な組織であった。国際関係の祖型をここにもとめる政治学者もいるそうである。また、シトー会の建築装飾、写本の文様などは華美を排除しつつ端正な美しさを保ち、抽象芸術の先驅とも評価されている。また、シトー会の各修道院は醸造(ワイン・ビール)・酪農・皮革加工・石炭採掘・製鉄(まだ溶鉱炉はない)・製塩などの産業を起こし、都市にそれを販売する別館をもっていた。これらの産業を起こす上で、彼らが発明したものはほとんどないが、それを有効に使ったことは確かである。また、修道院の水路掘削や水力利用はみごとで、修道院を通る一本の川を、製粉・縮絨(毛織物の目をつめる)・皮革加工(靴を作る)・製鉄(鎌や鍬などを作る)・炊事・洗浄など様々に使った。こうした自然と調和したテクノロジーの面では環境保護や都市設計の観点からも注目されている。クレルヴォーのベルナルドゥスの『熟慮について』はルターのローマ教皇宛書簡に引用され、第二次世界大戦中もフランスの権力者むけに翻訳されている。初期社会主義者フーリエの協同組合や、ソ連のコルホーズなどもシトー会の理想がなければ考えられないと指摘されている。全体を通して、こういう考えや理想は東洋にもあるのだろうと思った。クリュニー会など体制側は簡単にいえば「葬式キリスト教」で、これらを忌避して自然のなかにかえるというのは、日本の修験道や中国の隠遁思想にもみられる考えであり、抽象芸術においても簡素を旨とした禅宗や「わびさび」を思わせる。彼らが理想的修道生活を追究していくなかで、製鉄・石炭採掘などの技術をつかっていく所は非常に興味深い点である。(レオン・プレイスール(杉崎泰一郎監修・遠藤ゆかり訳)『シトー会』創元社,2012,原著1990)
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