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日本近代短篇小説選 昭和篇(1) 岩波文庫
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日本近代短篇小説選 昭和篇(1) 岩波文庫

紅野敏郎, 紅野謙介, 千葉俊二, 宗像和重, 山田俊治【編】

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日本近代短篇小説選 昭和篇(1) 岩波文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 2012/08/20
JAN 9784003119143

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商品レビュー

3.8

6件のお客様レビュー

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2023/12/30

 佐多稲子を本書で初めて知った。「キャラメル工場から」は昭和期の貧困家庭の少女の苦悩をよく描いている。中学生ぐらいの少女が工場に働きに出て家計を支えようとする姿は切実である。令和の一読者としては本作が貧困を基軸に書かれた小説に見えるが、これが「プロレタリア文学」と解釈される当時の...

 佐多稲子を本書で初めて知った。「キャラメル工場から」は昭和期の貧困家庭の少女の苦悩をよく描いている。中学生ぐらいの少女が工場に働きに出て家計を支えようとする姿は切実である。令和の一読者としては本作が貧困を基軸に書かれた小説に見えるが、これが「プロレタリア文学」と解釈される当時の時代であれば少し話が変わってくる。プロレタリア文学としてこの作品を読むとすれば、この少女の貧困の姿から同情や悲哀といった弱々しい感情を持つのではなく、社会変革への勇気や階級そのものへの思慮が浮かび上がるべきなのかもしれない。  小林多喜二の「母たち」はもっとその気が強いく、プロレタリア的だ。作中に描かれる母たちは社会主義活動によって投獄された活動家の母親である。特攻警察に対してその怒りをぶちまける母たちの口調、そして彼女らが示す憤怒といえる強い感情は、これもまた現代では見られないものだ。令和なら警察権力に対して怒鳴り散らす行為は気狂いとも思われかねない。しかし権力への服従と抑圧を良しとせず真正面から対峙する姿は、現代では過剰なほどに薄れすぎてはいないか。  「機械」、「いのちの初夜」は有名かつ名作で、これらの作品をまた読ませてくれる点で本書は素晴らしいが、もっといいことは前述のようなあまり知られていない作家や埋もれている名作に触れる機会をつくっていることだろう。

Posted by ブクログ

2021/06/24

『キャラメル工場から』は、作者である佐多稲子の境遇と重なる部分が多い作品。貧困や女性の労働について考えさせられた。

Posted by ブクログ

2020/11/24
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

『闇の絵巻』 人が信じているというものは果たして本物なのだろうか。 主人公は「闇」対して、苦渋や不安、恐怖だと訴えている。又「その一歩を敢然と踏み出すためには悪魔を呼ぶ必要がある 」とも、「人間は絶望への情熱がなくてはならないが〜若しさうした意志を捨ててしまふなら、なんという深い安堵がわれわれを包んくれるだらう 」これは主人公の療養していた頃のことを考えているのだろう。つまり、今では不安で恐怖であるはずの「闇」が療養生活をしていた頃の自分(主人公)にとっては、人の目も気にしないで良いような安堵できる場所、それこそが「闇」であったということだ。 このことから、なぜ、闇を好み療養しているか、について考えた。これは逆に言えば、なぜ療養していた際は安堵できていたのに新聞記事により強盗が闇の中を走った、という記事を読んで「爽快な戦慄を禁じることができなかった」のはなぜか、という答えにもなると考える。 まず、療養中の主人公は「光」が苦手だと感じた。それは主人公が橋を渡る際に一箇所の電燈がついた時に、主人公は「なんとなしに恐怖を呼び起し」その橋を渡るたびに私の眼がいつもなんとなくそれを見るのを避けたがる」という文から分かる。「闇」の反対は「光」というものもあってか、療養していたものからしたら恐怖であったのだろう。又あるの日は、「私は私の前を私と同じやうに堤灯なしで歩いてゆく一人の男があるのに気づいた」という文から主人公は、自分と同じことをしている人物に出会うのである。しかしその人物が家の前の明るみから、その「明るみを背にしてだんだん闇のなかへはいつて」いったのを見て「一種異様な感動を持つて眺めてゐた」が「消えてゆく男の姿はそんなにも感情的であった」とある。つまり、闇に踏み込むのが恐ろしく安堵はしていないという風に感じ取れた。それを眼の前にした主人公は自分もあのように闇の中へと消えてしまうのか、と感じたのだろうか、その後の文書から電燈の「光」というものの感じ方が変わっていっていると感じる。そして、大工や左官が「不思議な酒盛をしてゐて」「高笑ひが〜きこえて来るやうな気が」する現象が起こり、そのことから「心が捩ぢきれそうになる」と言っていて過去に大工や左官に何かしらの問題があったのか、それとも苦手な人間に対してのイメージしやすいの対象者として大工や左官の声が聞こえたのか、その事柄は、はっきりとはわからないが人間恐怖症のようなものがあるとは感じられた。また、「その途端、道の行く手に〜一箇の電燈が見える。闇はそこで終つたのだ」とあるが、この文やその後の文からも電燈の「光」というものの感じ方が最初と変わり、最終的には電燈に安堵を示している。つまり、「闇」という孤独の中で安堵できていたのにも関わらず、「闇」の渓の中から大工や左官が不思議な酒盛りをし、高笑いしている気がした、ということは、「闇」は孤独だからこそ安堵できる場所だと思っていたがその「闇」でさえ「人間」というものが現れたという風に感じて逆に安堵できていたものがそうではなくなったことから恐怖に変わっていったのだと考える。だからこそ、逆に「光」という電燈があることにより現実に帰ったように安心できたのだ。しかし、その電燈さえ「霧にかすんでしまつて電燈が遠くに見え」「行つても行つてもそこまで行きつけないような」気持ちになり「安堵が消えてしまう」とも書いている。 このことから、恐怖の大どんでん返しのような人間の心情や感情の揺れ動きが感じ取れ、人間の感じ取っているものは果たして本物なのか、というような「疑い」をかけたくなるような作品だと考える。

Posted by ブクログ

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