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流転の王妃の昭和史 中公文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 2012/06/23 |
JAN | 9784122056596 |
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流転の王妃の昭和史
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商品レビュー
4
6件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
最後の皇帝溥儀の退位式や通化事件の現場の顛末などしれっと歴史的重大事件が出てくる。十数年ぶりに周恩来首相のはからいで中国に「帰国」した折に撮ったとある写真には老舎(満洲族)が写っている。 ところどころ史実と異なる、恐らく思い違いや記憶違いだと思うこともちらほら散見されるが、当時の関東軍の狼藉や、関東軍→ソ連軍→国民党軍→共産党軍、と目まぐるしく権力者が易るたびに散々な目に遭わされる当時の様子などは読んでいて生々しく手に汗握る。遠藤誉女史の『卡子』が久々にもう一度読みたくなった。 長女慧生さんの死については相手の男を大久保と書いているが、何故かWikipediaにはOと頭文字で伏せてある。その大久保家側では事件後もずっとあれは好いたもん同士の心中事件だったと、つまりメディアが書き立てた通りだと主張していたらしい。 写真にうつる老舎はその10年、20年後に時代の歪み(文化大革命)の中で自殺に逐込まれるが、その悲劇を起した国についてこの本で公然と批判するのは自殺行為に等しい。数行ほどで文革の記述が終っているのはしょうがない。 なににつけても著者の観察眼なくしては書かれなかった本だと思う。経験している最中はきっと五感も六感もフル稼働だったに違いない。 最後に書かれていた夫溥傑さんの漢詩の一文が心に遺った。 一生歡聚猶駒隙 過眼風光豈盡春 一生の歓聚猶ほ駒隙のごとし 眼を過ぐる風光豈に盡く春たらんや
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著者、愛新覚羅浩さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。 嵯峨 浩(さが ひろ、1914年(大正3年)3月16日 - 1987年(昭和62年)6月20日)は、侯爵嵯峨家(公家華族)の長女。愛新覚羅溥傑(満州国皇帝愛新覚羅溥儀の弟)の妻。後に記し...
著者、愛新覚羅浩さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。 嵯峨 浩(さが ひろ、1914年(大正3年)3月16日 - 1987年(昭和62年)6月20日)は、侯爵嵯峨家(公家華族)の長女。愛新覚羅溥傑(満州国皇帝愛新覚羅溥儀の弟)の妻。後に記した自伝のタイトルから「流転の王妃」として知られる。 73歳にて、亡くなっています。 関連人物の生年没年をまとめてみます。 ・愛新覚羅溥儀(1906~1967年) ・婉容(1906~1946年) ・愛新覚羅溥傑(1907~1994年) ・嵯峨浩(1914~1987年) ・愛新覚羅慧生(1938~1957年) で、本作の内容は、次のとおり。(コピペです) 軍部の政略から満州国皇帝弟の溥傑に嫁ぐも、終戦後は夫と離ればなれになり次女を連れて混乱する大陸を流浪。帰国してからは物資不足の苦しい生活、そして長女の死…日中のかけはしとして、激動の人生を生きぬいた、ひとりの女性の自伝的昭和史。 婉容や長女・慧生が亡くなる話など、悲しい話が多い。
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民族を超え、そして関東軍の思惑が絡む政略結婚であるにもかかわらず、こんなにもお互いを思い合える夫婦になれたことを、あとがきで梯さんが「奇跡」と書いていて、まさにそうだと感じた。 自伝というのは主観が色濃く出てしまうというデメリットがありつつ、歴史上の出来事に関する熱量のある記述...
民族を超え、そして関東軍の思惑が絡む政略結婚であるにもかかわらず、こんなにもお互いを思い合える夫婦になれたことを、あとがきで梯さんが「奇跡」と書いていて、まさにそうだと感じた。 自伝というのは主観が色濃く出てしまうというデメリットがありつつ、歴史上の出来事に関する熱量のある記述を読むことができるのでやはり興味深い。 敗戦後の日本への帰国、という同じ状況でも、山崎豊子の「大地の子」や藤原ていの「流れる星は生きている」と比べ、満州皇帝の弟と結婚している立場だと、多少扱いが異なるのだなと感じた。 慧生さんが巻き込まれる事件のことは元々知っていたので、慧生さんが幼い頃どんな風に可愛がられていたかの描写には胸が痛んだ。慧生と溥儀が食卓を囲んだ際の描写が特に印象に残った。 最近乾隆帝時代の後宮を取り扱ったドラマを見ているので、清朝特有のしきたりについても記載があり、面白く読んだ。 北府のお宅の様子は一度見てみたいものだ。敷地の中を20〜30分も歩いて晩餐に参加するなんてやはり土地が広いからこそ可能なんじゃないか。(昔の日本でもそんな広いお宅はあったのかな?)
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