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ドストエフスキイ その生涯と作品
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ドストエフスキイ その生涯と作品

埴谷雄高(著者)

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ドストエフスキイ その生涯と作品

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 NHK出版
発売年月日 1983/10/01
JAN 9784140010310

ドストエフスキイ その生涯と作品

¥110

商品レビュー

3.5

4件のお客様レビュー

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2023/01/08

ずっと家にあるけれど、開くたびに読む気がしなくて本を閉じることを繰り返してきた本。 内容云々以前に書体が古すぎて読みづらい。昔の読書家たちはよくこんなのを読んでいたわ。 この人の同じ本は図書館にもあるので、読みたくなったらそれを借りよう。 この本を読むよりも、ドストエフスキーの...

ずっと家にあるけれど、開くたびに読む気がしなくて本を閉じることを繰り返してきた本。 内容云々以前に書体が古すぎて読みづらい。昔の読書家たちはよくこんなのを読んでいたわ。 この人の同じ本は図書館にもあるので、読みたくなったらそれを借りよう。 この本を読むよりも、ドストエフスキーの本を直接読んだ方がいい。

Posted by ブクログ

2022/01/06

埴谷雄高 ドストエフスキー の生涯と作品についての講演録。平易な言葉と構成でうまくまとまっている 著者のドストエフスキー像は、死刑宣告、恋愛四角関係 など ドストエフスキーが 実際体験した異常なエピソード を小説に取り入れて、成長してきた作家というもの ドストエフスキ...

埴谷雄高 ドストエフスキー の生涯と作品についての講演録。平易な言葉と構成でうまくまとまっている 著者のドストエフスキー像は、死刑宣告、恋愛四角関係 など ドストエフスキーが 実際体験した異常なエピソード を小説に取り入れて、成長してきた作家というもの ドストエフスキー作品に取り入れられた異常な体験 *ペトラシェフ事件における死刑宣告→「白痴」の死刑囚の最後の五分 *シベリア流刑→「死の家の記録」の監獄描写 *恋愛四角関係→「白痴」「カラマーゾフの兄弟」「悪霊」 著者が捉えた各作品の主題がわかりやすい *地下生活者の手記=苦痛は快楽である *白痴=美しい人間を描く=ムシュキン公爵=キリスト *カラマーゾフの兄弟=人はパンのみにて生きるものにあらず〜無為の中に幸福はない *罪と罰=社会対個人〜ソーニャ=キリスト *悪霊=社会の中の組織〜社会主義の理想は個性を喪失した多数者

Posted by ブクログ

2015/07/13
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※このレビューにはネタバレを含みます

ドストエフスキーの生涯と、その著作の背景が一望できる良著。 裕福な家で生まれ育ったトルストイが自然な流れで『戦争と平和』を著したのに対し、ドストエフスキーは大変数奇な人生を送って作品を生み出してきたことがよくわかる。 医者の家に生まれたものの、晩年の父は癇癪のために農民らに暴力を振るい、その恨みで暗殺されてしまう。 ミハイル・ペトラシェフスキーが主宰する空想的社会主義サークルに入ったため、思想犯として死刑判決を受けるが、銃殺刑執行直前にニコライ1世からの恩赦が与えられ、シベリア流刑、およそ5年間監獄で暮らすことになる。 賭博にのめり込み、借金をしてでも賭け続けてしまう悪癖。 遺伝の癇癪の発症。 恋愛に関しても、出所後に既婚のマリアに恋し、略奪して結婚したり、大学で教鞭をとっていたときの教え子ポリーナ・スースロワと愛人関係になったり、2人目の妻であるアンナは『罪と罰』を書く際についた速記者で20歳ほど年齢差があったりなど、なんだかちっとも普通じゃない。 そんな破天荒な感じであったため、大家であれど、借金返済に追われ、常に貧困のなかにあった人のようだ。 癇癪の発作がおこったあとは1〜2週間ほど憂鬱な気分になるというdowner状態もあれば、人が変わったように賭博に打ち込む。恋愛ではひたすら女性を愛する少年のようなピュアさが垣間見られた。写真では強面のおじさんに映るけれど、どこまでも病的なまでに極端で感情の振れ幅の大きい人間らしい人だったのだと思う。 『カラマーゾフの兄弟』で「自己の労働を犠牲にしないで同胞を愛することができない、ただの生活は実にいまわしい、幸福は幸福の中になくて、ただその獲得の中にのみある」と述べている。 これは、働きもせず物質が豊かに与えられた「幸福」のなかに居ても、人間がその状態を「幸福」と思うのは刹那であり、幸福を求めて苦しみ生きるその過程が幸福、「苦痛が快楽」であるということだ。 「人はパンのみにて生きるものにあらず」とも換言されているが、これはドストエフスキーの人生観そのもの。 苦痛が快楽というのは、私にも共感できる部分があるけれど、苦しみや悲しみの状態にある自分に陶酔するあの瞬間は、どこか他人には秘めたるべき事柄のようで、ちょっとした背徳感がありながら、充満たる優越感にひたれるのは、この世の中の誰しもが経験するものなのだろうか、とふと疑問に感じることがある。 いやいや「寝てない自慢」とか「仕事大変自慢」とかそういう軽いものではなくて、「生きていることそのものへの悲しみ」「自分が生まれて可哀想だ」というそれだ。太宰治的にいうと「生まれてスミマセン」と言いながらどこかほくそ笑むあれ。 そこで止まっているから小さい人間なんだよなという分析もできていて、自分が腹立たしい反面、楽観と諦念もあったりして、本当に自分が自分であることが面倒くさくなるな。

Posted by ブクログ

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