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コンスタンティヌス その生涯と治世 文庫クセジュ967
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 白水社 |
発売年月日 | 2012/03/16 |
JAN | 9784560509678 |
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コンスタンティヌス
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商品レビュー
4
4件のお客様レビュー
入門としてふさわしい書。 コンスタンティヌスを知りたければこれを一冊熟読すればちゃんと土台ができる。
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読みやすい訳文と思う。タイトル通りその生涯と治世に迫っていく。年代に沿って生涯を追い、続いて制度や法制、宗教政策、作られたコンスタンティヌスの評価をめぐる問題を扱う。現著者による「コンスタンティヌスのおびただしい立法」という章には、そのタイトルの表現をはじめ、訳者は疑問を呈してい...
読みやすい訳文と思う。タイトル通りその生涯と治世に迫っていく。年代に沿って生涯を追い、続いて制度や法制、宗教政策、作られたコンスタンティヌスの評価をめぐる問題を扱う。現著者による「コンスタンティヌスのおびただしい立法」という章には、そのタイトルの表現をはじめ、訳者は疑問を呈しているが、全体としてコンスタンティヌス自身とその治世について知るのにうってつけの一冊であることには変わりが無いと言えるだろう。先に同じクセジュで同じ訳者の『ディオクレティアヌスと四帝統治』を読んでおくと理解しやすい。
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※このレビューにはネタバレを含みます
■『コンスタンティヌス-その生涯と治世』 ベルトラン・ランソン著 文庫クセジュ 【後編 同時性・ローマ帝国迫害時代】 312年ローマ帝国の統一を成し遂げ、キリスト教の公認なし、キリスト教史における初めての公会議、ニカイア公会議を開催したことで有名。キリスト教の守護に努めた皇帝ということで、後世には高々とその名前が称えられているコンスタンティヌス大帝。伝わっている伝説は尾ひれを引いて、虚飾も多いのは仕方ないが、そのあたりをそぎ落とし、出来るだけ客観的な資料を用いてその治世を理解していく。 キリスト教がヨーロッパの絶対的指針で、誰もが否定することのできない精神的、政治的中心であったときには実像以上に称揚されたコンスタンティヌスであったが、ルネサンスを超え、絶対的な価値観が崩れ、個性とその自由の価値が重んじられ始めると、キリスト教の排他的な価値観に意を唱える啓蒙主義者や自由主義者たちからは、ローマ的精神の破壊者として見られるようになり、その治世は自由精神の束縛を生んだ始まりともいわれるようになる。キリスト教という信仰を中心として、その評価が二分する人物である。 この書においては、皇帝としてのコンスタンティヌスの姿に迫っている。キリスト教を引き入れたというリベラリストたちの必要以上の批判にも、論理的に答えながら、ローマ帝国の「革新者」としての姿を描き出している。まずは実質的なローマの平和維持を実現したということがあげられる。2世紀半ば以降、ローマは常に侵略者や内乱者の恐怖に脅かされており、ローマ帝国が分裂すると、それも一層激化した。ローマの統一を行い、平和維持に努め、それを治世の時代に実現することができたことは大きな功績である。 ローマ的な自由と寛容はローマの平和と幸福を維持するには限界が来ていた。そこには一定の秩序と、人々が帰依することのできる、強い指針が必要であった。そこでコンスタンティヌスがとりいれたのが、キリスト教というわけである。コンスタンティヌスとキリスト教信仰については、コンスタンティヌス問題として問われ続けている。その中で一番ラディカルなものは、コンスタンティヌスは政治的にキリスト教を利用しただけで、まったく信仰心は持っていなかったというものである。たしかに改宗するにあたっての政治的な利を彼は知っていただろう。しかし彼の皇帝としての振る舞いと、キリスト教に対する姿勢から見て、彼は太陽神信仰や新プラトン主義の価値観には愛着を持ちながらも、312年以降はキリスト教を心から信じていたといってもいい。そして自然に今までの信仰や価値観からは離れていくようになったという。 彼のなしたことで、もっとも大きな意味を持つものの一つとして、初めてのキリスト教公会議を開いたことがあげられる。その中で三位一体の信仰が公式的に認められ、それを受け入れないアリウス派は異端とされることになる。この公会議で正当とされたアタナシウス派が主張した三位一体論とは、父(神)と子(イエス)と聖霊が一つの実体であるという教義である。それに対してアリウス派はそれを否定し、神とイエスは別の存在であり、イエスは限りなく神に近くとも人間であると主張した。アリウス派は結局負け、この三位一体論が現在のどのキリスト教の宗派も認めることろの教義となったが、原理の立場はアリウス派的なところは興味深い。 コンスタンティヌスは、キリスト教の信仰と組織力でローマ帝国を立て直すことを真剣に考え実行していった。しかし、そのキリスト教が身内で争っていたので、キリスト教の一体化にも尽力し、その結果ニケア公会議、コンスタンティノポリス公会議を開いた。その後もキリスト教の守護者として、政治的な実権は持って行ったが、教会の権威としては司教を重んじたそう。死に際して洗礼を受けた。このことも真の信仰を持っていなかった証拠のようにあげられることがあるが、死の間際の洗礼というのが、当時の慣例だったようなので、的外れな批判である。 コンスタンティヌスが伝説的に称揚され続けたような皇帝ではなかったことは事実だと思うが、ただの政治家であったというのもまた違う。キリスト教を中心宗教とし、復帰摂理を読み解く原理の立場から、この辺の歴史を見ると、神の巧みさが見てうかがえる。優先順位的にはずっと後回しになるだろうが、ぜひ関心を持って学んでほしいところでもある。
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