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纒向から伊勢・出雲へ
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纒向から伊勢・出雲へ

黒田龍二【著】

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纒向から伊勢・出雲へ

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 学生社
発売年月日 2012/02/10
JAN 9784311300844

纒向から伊勢・出雲へ

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商品レビュー

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2021/10/08
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※このレビューにはネタバレを含みます

これは当たりの本。外観が地味で古代建築の専門書みたいな佇まいだが、そんなことはなくて、徐々に謎を解き明かしていくスリリングさがあった。高田崇の本とか古代史ミステリーが好きな人には有用。 ●纏向遺跡で大きな建物跡が見つかった。初期ヤマト王権の王宮に間違いなし。 ●その横に倉庫のような建物跡も見つかった。 ●緻密な設計の前方後円墳はいくらでも見つかっているが、その主にふさわしい王宮、住居跡が見つかったのは初めて。 ●崇神・垂仁天皇時代のものではないか。記紀の記述に一致している。 ●王宮は出雲大社本殿のモデルになったと考える。 ●倉庫は伊勢神宮正殿のモデルになった考える。 ●記紀や定説と遺跡に時期のズレが数十年あるところが弱点ともいえるし、逆に数十年の差しかない、近いともいえる。             ↓ 出雲大社本殿 ●記紀において出雲大社は「ヤマト王権が建てた巨大で天皇の王宮みたいな建物だ」とされている。纏向の王宮建物の内部構造は出雲大社本殿に似てる。構造が似ているのか?役割が似ているのか?古代においてヤマトと出雲の融合があった。出雲族の信仰対象にヤマトの信仰システムや建築システムが融合? ●古代の出雲大社本殿は巨大で知られた。他の神社とはちがい本殿内部で祭儀を行う、大勢の人間が入る。国造家が祭祀を行う。ヤマトにおける天皇の役割。 ●出雲大社の祭儀には、より原始的な祭儀の痕跡がみえる。神に食事を捧げる、神に成り代わって食事をする、みんなで食事をする。 ●出雲大社の高さ論争、現在の社殿は江戸時代のもの。鎌倉時代以前にもっと巨大な出雲大社本殿が存在した可能性。2000年に三本束ねた巨大柱跡が出て現実味。高さを追求した理由があるのか? ●大林組の復元案など、著書の復元案など。大阪城や凱旋門と同じくらいの大きさ。 伊勢神宮正殿 ●纏向の王宮横の倉庫は伊勢神宮正殿のモデルではないか。記紀では「崇神天皇、垂仁天皇の頃に、そもそも天照大神=鏡は天皇が王宮内に置いて祀っていたが、霊威が強すぎるので遠くに遷そうということになり、伊勢に遷した」とされる。まず王宮内から鏡を出して倉庫=宝物庫へ。そして伊勢へ。建物の大きさ、造りが一致。 ●庭、露天で行う祭祀、この頃にはなかった?伊勢神宮では行われた、のちに朝廷の太極殿と前の庭で行われた。 ●伊勢では天皇に代わり皇女が斎王として天照大神を祀る。祀るというのは神への食事の世話。しんどい、代々の斎王がずーっと駐在することもできないので豊受大神に来てもらって代役をしてもらう=地元豪族などに管理を委託する、ということになり、内宮・外宮が成立。斎王は伊勢神宮正殿から離れた場所に住む。伊勢神宮にも原始的な祭儀の痕跡。 ●伊勢神宮では内宮にいる天照大神への食事を外宮で捧げる。数キロの距離。なぜか。 ●大きな祭儀では内宮の正殿床下に奉る。床下というのは異例の祭儀、その理由の考察、心御柱とは。その機能、式年遷宮システムの役割とは。 ●明治時代に全国的な祭儀の統一があり床下に奉るのはなくなった。明治以前には今より多様な神とのかかわり方があったのだろう。 ●伊勢神宮のシステム完成が天武、持統朝。仏教を知っていてあえて回避しているシステム、それが永続的に受け継がれるためのシステムが機能。

Posted by ブクログ

2016/12/15
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

2012年刊。著者は神戸大学工学研究科教授。  プレ大和朝廷の宮殿遺跡とも解される纏向遺跡で想定される建築様式が、後の出雲大社・伊勢神宮に及ぼした影響を解読することで、7世紀後半に確立した伊勢神宮・神道の淵源を読み解こうする書。  なお、著者は、周辺出土土器の編年関連からのみで纒向を3世紀初頭の遺跡、つまり卑弥呼と同時代の遺跡と見るが、ここはかなり甘いようにも。誤りとは思わないが、証拠固めが足りないか。  そもそも建築遺構は、土器や青銅器類(銅鏡の他、銅鐸・銅剣・銅戈)に比し、出土数の少で、地域的分布を論じ得るほど多くない。  まぁ、こう思うのは、祭祀の在り様に関して、十分な説明・論拠のないだけでなく、「あるがままを受け入れよ」とする宗教的実践の気持ちの悪さが、個人的に感情的な忌避を生んでいるからだ、という気がしないではないが…。  面白い本だが、結局、こういう大神宮だけでなく、小さな古い社の神道建築遺構との関連性も踏まえたものでなければ、心に響かないなぁと感じてしまった書とも言えそう。  他方、土器・青銅器等は、多様な型式に加え、半島や大陸などとの比較が簡便。つまり多層的解析が可能な遺物と見得る。  加え、そもそも本書に如実に示されるが、建築遺構の復元自体に解釈の幅が広く、纒向→大社・神宮への関連性解説の雑駁さが、拭い去れぬ座りの悪さを感じさせる。  まして、遺構よりも遥かに再現性の確実性に疑問を呈しそうな、遠い過去の祭祀の在り方に言及し、建築遺構の関連性解読の論拠に用いられると、ますます座りの悪さを感じてしまう。

Posted by ブクログ

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