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「宗谷」の昭和史 南極観測船になった海軍特務艦 新潮文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2011/12/26 |
JAN | 9784101332222 |
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「宗谷」の昭和史
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商品レビュー
3.8
4件のお客様レビュー
あれやこれやで面白い本でした。 宗谷ってそもそもソ連が発注した船なのね。しかも、契約した性能を満たしていないとか完成日が遅れるとか、あれやこれや揉めに揉めたうえで国策で買い上げたような形で収拾をつけたという。 サイドストーリー満載で大作になった。本筋だけならもっとコンパクトにでき...
あれやこれやで面白い本でした。 宗谷ってそもそもソ連が発注した船なのね。しかも、契約した性能を満たしていないとか完成日が遅れるとか、あれやこれや揉めに揉めたうえで国策で買い上げたような形で収拾をつけたという。 サイドストーリー満載で大作になった。本筋だけならもっとコンパクトにできる。でもサイドストーリーが面白い。 初代南極観測隊長をネガティブに描いているのがよい。それが事実と決めつけはしないが、南極観測ってあまりにも美談として描かれすぎ。そろそろ学閥とか人間的欠陥の話をしてもよいでしょう。
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日本初の南極観測船「宗谷」の物語。宗谷は、太平洋戦争直前にソ連が発注した耐氷型の商船だった。この船はソ連への引渡し時のトラブルの末、地嶺丸と名付けられて国内で貨物船として使われた。その後、構造の特異性から海軍が特務艦として採用し「宗谷」と命名され、島々の測量業務の担当として太平洋...
日本初の南極観測船「宗谷」の物語。宗谷は、太平洋戦争直前にソ連が発注した耐氷型の商船だった。この船はソ連への引渡し時のトラブルの末、地嶺丸と名付けられて国内で貨物船として使われた。その後、構造の特異性から海軍が特務艦として採用し「宗谷」と命名され、島々の測量業務の担当として太平洋戦争に参加する。戦後は引揚船として多くの邦人を輸送し、その後は灯台の補給船として活躍する。 宗谷のハイライトは南極観測船としての活躍だが、南極観測隊の送り込みや観測船の選定には紆余曲折があったようだ。製造から20年が経った老朽船だったが、耐氷性能の向上や機関を刷新して南極に向かう。最初の航海で氷に閉じ込められ、ソ連のオビ号に救出されたり、南極に残されたアラスカ犬タロ・ジロの話も宗谷が絡んだエピソードだった。その後、北洋の巡視船として活動した後に退役する。宗谷は、昭和の激動の時代を生き抜いた大変幸運な船だった。この本では宗谷の生い立ちから、船に関わった人々、軍人や戦歴、南極観測隊派遣の経緯など多くの人物やエピソードを紹介していて大変面白かった。 ちなみに、自分は南極観測船としての宗谷は知っていたが、軍艦として太平洋戦争にも参戦し、戦後の引揚船、灯台の補給船として使われたことは知らなかった。この船を製造した川南造船は、母の故郷の長崎・香焼島にあって、自分も長崎生まれということで、この本で知った宗谷にとても親近感を感じた。自分には、本で描かれた出来事に繫がりを求めてしまう妙な癖がある。この本を読んで、またお台場に展示されている宗谷を見に行きたくなった。
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南極観測に関連して日本人が忘れられない出来事といえば、3次隊に発見されたタロとジロの話ですが、その頃に南極観測船として活躍していたのが、宗谷です。この書は、その宗谷を巡る数奇なもの語りが表されています。 宗谷が、自衛隊ではなく海上保安庁の船であったという事は知っていたんですが、...
南極観測に関連して日本人が忘れられない出来事といえば、3次隊に発見されたタロとジロの話ですが、その頃に南極観測船として活躍していたのが、宗谷です。この書は、その宗谷を巡る数奇なもの語りが表されています。 宗谷が、自衛隊ではなく海上保安庁の船であったという事は知っていたんですが、そもそもが旧ソ連からの発注により建造された船であるということは知りませんでした。旧ソ連だから砕氷船と言うのは、理解できます。この船の数奇な運命の大部分は、この件で表されるでしょうね。その後、日本と旧ソ連の国際問題となりながらも、日本側が違約金を支払うことで日本の船となったと言うことです。その後は、御多分にもれず旧日本海軍の船となり戦地に赴くわけですが、海図制作を任務とする特務艦となったことから、激しい戦闘には参加することもなく(巻き込まれることはあったようですが)、無事終戦を迎えています。 もう一つ、この本で知ったことは、宗谷丸と言う非常によく似た名前の鉄道連絡船があったこと。宗谷丸も、稚内航路で使用された船なので、砕氷船として作られていて、日本が南極観測隊を送り込むときの南極観測船の候補にもなったと言う事で、よく宗谷と宗谷丸は混同されるようです。 その他、南極観測隊を巡るゴタゴタ騒ぎは、アクの強い学者たちにはありがちな話かなとは思いました。 53次隊が南極に到着し、現在52次隊からの引継ぎの最中の南極観測隊。いまの南極観測船は、宗谷の6倍もの排水量を誇るしらせ(二代)になっています。
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