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南相馬10日間の救命医療 津波・原発災害と闘った医師の記録
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 時事通信出版局/時事通信社 |
| 発売年月日 | 2011/11/21 |
| JAN | 9784788711693 |
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南相馬10日間の救命医療
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商品レビュー
4.5
4件のお客様レビュー
原発23キロ地点に立地する災害拠点病院で働く青年医師が見た東日本大震災。 教科書的に評価すると100点満点ではないのだと思う部分もあるが、混乱の中で、限られた情報、資源のなかで困難にどのように立ち向かったかを赤裸々に語っている。 公立なのに自由離脱に任せてよいのか?というのは、な...
原発23キロ地点に立地する災害拠点病院で働く青年医師が見た東日本大震災。 教科書的に評価すると100点満点ではないのだと思う部分もあるが、混乱の中で、限られた情報、資源のなかで困難にどのように立ち向かったかを赤裸々に語っている。 公立なのに自由離脱に任せてよいのか?というのは、なかなか難しいがどうなのだろう。 また、発災当初から政治家はどんどん被災地に入るべきというのも、個別最適の狭い視点からの意見ではないかと感じた。(医師個人の手記なので当然なのだが。)
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「福島から若手の脳外科医を派遣してほしいと頼まれている。赴任を考えてくないか」 名古屋の勤務先病院から半年間の任期で派遣された著者は、南相馬市総合病院での赴任中に東日本大震災に見舞われる。 名古屋に住む家族となかなか連絡が取れない中、「もともとは、原発事故をきっかけに家族...
「福島から若手の脳外科医を派遣してほしいと頼まれている。赴任を考えてくないか」 名古屋の勤務先病院から半年間の任期で派遣された著者は、南相馬市総合病院での赴任中に東日本大震災に見舞われる。 名古屋に住む家族となかなか連絡が取れない中、「もともとは、原発事故をきっかけに家族のために残せる何かをと書き始めた私的な手記」が、震災後1ヶ月たって名古屋の病院に戻る際に、病院のスタッフに置き土産として残し、それが、「今回の経験を外部に発信し、今後の災害に生かすべきではないか」ということで書籍化された。 地震・津波・原発事故の3つの災害を被った南相馬市総合病院は、稀有な存在だろう。混乱の中を整然と医療活動を続けた経験を広く知らせることは、大きな意味がある。 ただ、この本が素晴らしいと思うのは、「こんなことがありました」「こんなふうに乗り越えてきました」と事実を記すだけではなく、「原発の周囲にある病院が、今後しなければならないこと」「国・地方自治体・電力会社が、今後再び原発事故が起きた時に備えてどのような対策を立てなければならないか」が、医療の立場から冷静に考察されているところだ。 福島原発事故以前も、原発事故を想定した訓練や講習会が行われていたが、現実に事故が起きた今となっては全く無意味だったという。「原発は安全だ」「「原発はエネルギーとして有益である」ということを前提とした訓練だったためである。 私の住む札幌のご近所にも泊原発が控えている。もし事が起こったら、泊村・岩内周辺の入院患者はスムーズに避難できるのだろうか?
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3.11 東日本大震災。不気味な地鳴りに始まり、激しい揺れ。そして太平洋沿岸部を大津波が襲う。 福島県南相馬市、国道6号線の東に位置する南相馬市立総合病院には、地震直後しばしの不気味な静寂のあと、近隣からの避難民、病院スタッフの親族、そして怪我人と遺体が押し寄せた。 電気・水など...
3.11 東日本大震災。不気味な地鳴りに始まり、激しい揺れ。そして太平洋沿岸部を大津波が襲う。 福島県南相馬市、国道6号線の東に位置する南相馬市立総合病院には、地震直後しばしの不気味な静寂のあと、近隣からの避難民、病院スタッフの親族、そして怪我人と遺体が押し寄せた。 電気・水などのインフラは無事であったが主な医療機器が故障し、エレベーターも停止。ベッドは足りず、エントランスにマットレスを敷いて仮説ベッドを設置、重症度によって優先順位をつけるトリアージを行う。津波に巻き込まれた患者、その治療にあたるスタッフ双方ともに泥まみれの、野戦病院のような有り様だった。 3.12 福島第1原発1号機の爆発事故。避難指示区域が20㎞に拡大、来院者の放射線量をチェックすると、針が振り切れた――。 病院幹部もスタッフの自主退避、自力で歩ける患者の退院・避難を促す。病院にとどまった50人ほどのスタッフが病院に寝泊まりし、150人以上残っていた入院患者の24時間看護を続けるが、周辺の私立病院や薬局は相次いで閉鎖。患者が市立病院に集中し、薬や食料の不足が深刻化するが、南相馬市全体が危険地域と見なされるなか、支援も届かず、重症患者の搬送すらままならなくなる。 震災後の混乱、原発事故直後の放射能への恐怖のなかで多くの生命を救い、地域医療を守る最後の砦となった医師と病院の苦闘の記録。 このレポートの著者・太田医師は当時、医師不足に悩む市立病院に2010年7月から「応援医師」として、半年間の任期予定で名古屋の病院から派遣されていた若手脳外科医。 原発事故後書きはじめ、南相馬を離れる際に病院スタッフの手に残した手記がこの出版につながった。
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