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清盛の平家経営術
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | NHK出版 |
発売年月日 | 2011/11/25 |
JAN | 9784140815106 |
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清盛の平家経営術
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平家の成功から没落まで描く。平清盛を再評価するばかりではなく、源頼朝と比べた限界も指摘する。『鎌倉殿の13人』の復習になる。
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日本史で活躍して人気のある武将として信長・秀吉・家康は有名ですが、彼らに敗れてしまった武将や集団について、昔に学校で学習した思い込みとは異なる事実が最近になって出てきています。私にとってその一人が、今川義元や北条氏・朝倉氏であり、今回の主役である「平清盛」です。 この本には平清...
日本史で活躍して人気のある武将として信長・秀吉・家康は有名ですが、彼らに敗れてしまった武将や集団について、昔に学校で学習した思い込みとは異なる事実が最近になって出てきています。私にとってその一人が、今川義元や北条氏・朝倉氏であり、今回の主役である「平清盛」です。 この本には平清盛が武士として成り上がってきて、日本の中枢に食い込むには「貴族化」することの重要性を悟り、その目標に向かって邁進していく様子を描いています。 平家は貴族化したので源氏に敗れた弱い集団と今まで思い込んできましたが、清盛がなぜ貴族化しようとしたのかが理解できたことがこの本を読んだ収穫でした。 以下は気になったポイントです。 ・坂東八平氏(分家)とは、千葉・上総・三浦・土肥・秩父・大庭・梶原・長尾(p9) ・平正盛は、なみいる公家を飛ばして上皇に伊賀国の2村を寄進した、これにより上皇の護衛兵隊長(院の北面武士)に任命された(p21) ・領地を寄進しても、土地の実際の管理(年貢徴収など)は任されたので、正盛は自分の部下を代官として派遣したので、全く事務手続きは変わらない(p22) ・当時の武士は、公家の番犬であり人格は認められなかった(p37) ・忠盛の目的は「武士階層から脱して貴族社会に入り、平氏の永久的な映画達成」とした、源頼朝の「東国武士の初心を守る」という経営方法は気が付かなかった(p44) ・保元の乱の原因は、1つは「天皇家内部の後継者争い」、もう1つは「藤原摂関家の内部争い」であった、武士たちはそれに巻き込まれた(p59) ・平安末期(1150)の総人口は690万人、関ヶ原の戦い(1600)で1227万人、江戸中期(1721)で 3100万人(p67) ・公卿とは、正三位以上の高官をいう、平治の乱(1160)の翌年に清盛は二条天皇の推挙により正三位となった(p83) ・家康自身は「尊敬するのは源頼朝」と公言しているが、やったことは清盛に近い、息子の秀忠の娘(和子)を入内させて、後水尾天皇の内宮としてその間に生まれた娘を女帝にした(p115) ・上皇が院政を行えるのは、直系の子や孫が天皇になった場合のみ(p131) ・1179年には、平家一族郎党の知行国は30を超えて、日本の半分が平家のものになった(p150) ・戦国時代までの武士は、小領主である中間層が一般層を完全に把握していた、名将である信玄も謙信もヒラ武士層の把握に苦しんだ(p174) ・このころの武蔵国は利根川が江戸湾に流れ込んでいて雨季になると水浸し、東海道かを都から下ってくると、江戸近辺を通らずに浦賀から、千葉県金谷へ渡っていた(p176) ・清盛死後、維盛は木曽義仲を討つべく10万の大軍を進撃させたが、惨敗して帰ってきたのは2万騎のみ(p188) 2012年2月5日作成
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