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怪男児麿赤兒がゆく 憂き世戯れて候ふ
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 朝日新聞出版 |
発売年月日 | 2011/10/07 |
JAN | 9784023309814 |
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怪男児麿赤兒がゆく
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商品レビュー
4.5
6件のお客様レビュー
まさに舞踏家!文体も踊るような感じ。麿赤兒の魅力が詰まっている。新宿騒乱のことが知りたくて読んでみたけどそれ以外の箇所もドラマチックで面白い
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70年代熱血のアングラ奮闘記。舞踏集団「大駱駝艦」率いて40年。はじめての痛快自伝エッセイ。 読了日 2013年4月14日 いっきに読む。2001年に夭折した、古川あんずさんの師匠の波瀾万丈の半生記。アラーキーの7枚の扉のモノクロ写真もいい。最後の1行が素敵だ。 朝日新聞出版・...
70年代熱血のアングラ奮闘記。舞踏集団「大駱駝艦」率いて40年。はじめての痛快自伝エッセイ。 読了日 2013年4月14日 いっきに読む。2001年に夭折した、古川あんずさんの師匠の波瀾万丈の半生記。アラーキーの7枚の扉のモノクロ写真もいい。最後の1行が素敵だ。 朝日新聞出版・2011
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・麿赤兒「快男児 麿赤兒がゆく 憂き世戯れて候ふ」(朝日新聞出版)の 冒頭に、本書は「一九六一(昭和三十六)年に奈良県の畝傍高校を卒業し、芝居を志して上京以来四十歳に至るまでの私の恍惚の日々の一端で ある。」(1頁)とある。大雑把に言へば麿の半生記であらう。ただし、あくまで「一端...
・麿赤兒「快男児 麿赤兒がゆく 憂き世戯れて候ふ」(朝日新聞出版)の 冒頭に、本書は「一九六一(昭和三十六)年に奈良県の畝傍高校を卒業し、芝居を志して上京以来四十歳に至るまでの私の恍惚の日々の一端で ある。」(1頁)とある。大雑把に言へば麿の半生記であらう。ただし、あくまで「一端」である。上京から四十歳までの人生のいくつかのエ ピソードの積み重ねである。それがおもしろい。「恍惚といってもいま思えばの謂であり、有り体にいうと狂乱乱舞といったほうがいいかもし れない。何か得体の知れないモノに取り憑かれ、血がたぎり熱に浮かされていたのだ。」(同前)といふそのエピソードが、それゆゑにおもし ろい。役者以前は、たぶんさうなのだらうと私は想像するだけだが、60年代の雰囲気にあふれてをり、その中に浸りきる若き麿の姿が楽し い。楽しいなどと書いては失礼なのだが、さういふ時代を味ははなかつた人間には、やはり楽しきかな、青春と思へるのである。 ・私が麿を知つた時、麿は既に大駱駝艦の中心人物として勇名を馳せてゐた。麿が状況劇場で役者をしていたといふことは後に知つたことで、 私は駱駝の舞踏からそんなことを考へもしなかつたのである。本書にはその状況劇場時代のことも詳しい。唐十郎との出会ひ、麿はそれ以前に も役者をしてゐたのだが、これで麿の人生と方向は決まつた。その出会ひが劇的と言へるかどうか。これは「その二 芝居者青春舞遊伝」の 「風月堂の常連客」あたりに詳しい。簡単に言へば、風月堂常連たる麿の元に唐が台本持参で参上したといふだけのことである。これは「月笛 葬法」といふごく短い台本であつた。「たったこれだけであったが、俺は異常に興奮していた。」(58頁)そして「どうやら運命的な出会い になりそうだという予感があった。」(59頁)それゆゑにか、麿は唐と李礼仙のアパートに転がり込むことになる。さうして状況の役者やバ イトの金粉ショーをやりながら、土方巽とも出会ふのである。どちらも麿には運命的、決定的な出会ひであらう。駱駝の舞踏等で見せる、あの 麿の容貌魁偉の様々なる変形はここで決まつたのである。私はそれがほとんどできあがつた段階しか知らないわけで、その意味では非常に残念 なことであつたと思ふ。それでも、ここに書かれている様々なエピソードの持ち主だからこそあんな舞踏もできるのである。あれには土方譲り のところもあるのだらうと私は想像するのだが、駱駝を母艦とするいくつかのグループを観るにつけても、麿の容貌魁偉は麿にしかないと思 ふ。そして、やはり文は人なりであるとも思ふ。本書にはそんな麿が実によく出てゐる。エピソードもおもしろいが、麿といふ人とその文章も またおもしろいのである。その意味で、舞踏とは関係のないエピソードが貴重である。「その四 武士は死せず、ただ消え去るのみ テロリス トM氏虚実会見記」、これは軍人だつた麿の父親に関するエピソードである。このM氏は三上卓である。三上は父親の陸士(?)同期、「五・ 一五事件の首謀者で」(148頁)ある。麿の、三上への来意を告げての訪問記である。麿は父のことを尋ねつつ、あはよくば「芝居のための 資金」(同前)を三上から得ようと考へたらしい。しかし資金の方はかなはなかつた。ここでのやりとり、何のことはないといふより、むしろ とぼけた感じのやりとりなのだが、それが却つて麿の容貌魁偉とは異なる側面を示してゐておもしろい。三上も、同輩の息子とはいへ、ざつく ばらんに麿に対してゐる。麿赤兒に三上卓が出てこようとは思ひもしなかつた。これは個人的な収穫であつた。舞踏ならずとも麿はおもしろ い。
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