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賀川豊彦 岩波現代文庫 社会230
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2011/10/17 |
JAN | 9784006032302 |
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賀川豊彦
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'過去の人間は余りに多くの偶像に囚はれて居た為めに、一つの生命より、ガラス玉一つの方に価値が多いと思ひつめた。近世に於ては、そのガラス玉は金貨であり、有価証券であるが、それは一個の偶像であることに於ては変わりはない。真の経済学は生命と創造自由を与へてくれるものでなければ...
'過去の人間は余りに多くの偶像に囚はれて居た為めに、一つの生命より、ガラス玉一つの方に価値が多いと思ひつめた。近世に於ては、そのガラス玉は金貨であり、有価証券であるが、それは一個の偶像であることに於ては変わりはない。真の経済学は生命と創造自由を与へてくれるものでなければならぬ。然し、飢えながら、精米所に米を担ぎ、渇き乍らビール製造会社に労働し、凍え乍ら、製布会社に出勤する今日の経済組織に何の価値を見出し得るか?' 精神が拠るところが大事だとして、価値が置かれているところを眺めてみれば、それは置き換わっているだけだ、と思わざるをえない。手に入れたものも大きい。人間というものの在り方が、もちろん良い方向に運ばれている今だとは思う。でも、そもそもが頼りないのかもしれない。簡単に拠りかかりたがる、既存のものに、与えられるものに、設えられたものに。そこには、まず自分という存在によって立ち上がってくるものを見出そうという、その発露が欠けている。 それでも、社会は作られていく。僕らが望むもののままに、叶えるところへ進んでいく。それだけが間違いがない。社会というものに係わり、そこに表れる課題に向き合っていくことも、その過程と線上にしか表れることがないことも確かなんだ。 でも、希望がそこにある。そこにしかない、ということも間違いがない。生きるということに自分という存在を合わせていくためには、この人間というものが表すものに、自分を重ねていくことしか、方法がないということも知っていくんだ。 社会というものは、ひとつひとつのヒトの在り方が折り重なって出来上がっているものだ。だから、目の前のヒトを見つめることと、社会を考えることが同じように表れてくる。 賀川豊彦は、ヒトを見ることも、社会を扱うことも、変らずに、括らずに、隔てることがなく、向き合うことができるひとだったのだろう。そのことは誰にでもできることではない。というよりも中々にできないことなんだ。この社会を作っているものを観察していればそれは明らかで、ひとがあってこそなのに、ひとの為にが目的だったはずなのに、それらが置き去りになる。目的が置き換わっていく。自分たちが作ったものを維持することだけが大切なことになっていく。見失っていることを見つけられなくなることが正論に変っていく。そうやって結局、ヒトというものによって、ヒトに跳ね返っていく問題を生み出していく。社会の問題が製造される。それを繰り返していく。 しょうがない。といって、諦めることしかできないのだろうか。 賀川も、そのサイクルの中に取り込まれ、何度も裏切られ、打ちのめされて、取り除かれて。自分というものの在りかを変えていくしかなかった。それでも、彼そもそもの在り方は何も変わることはなかった。考えることが失われることはなかった。 彼は、労働者たちの立場を変えた。農民たちのそれも変えた。それらの礎になった。生協も作った。変化して往かざるを得ない状況に対して、変わることのない自分というもので、たしかに自分に出来ることを為していった。そのことが有り難いことだと思う。それは、どれだけ社会的であっても、影響的であっても、そこに表れていた精神が同じようであったかという意味で、並ぶような存在があまりないことだと思うからだ。 魂、という一言が近頃よく思い浮かぶ。どのような魂がそこにはあるのか。そう投げかけたいことが日々目の前に表れてくる。それはきっと自分に跳ね返ってくる意味だ。自分が為すことと、そこにある意思と、導く思考と、それを意識しなければ、それがなければ、どうなものも色褪せてしまう。そういうものがあってようやく、自分というものを運んで行くことができると、考えている。 大袈裟なようなその気持ちは、きっと賀川の中にもあっただろう、と分かるのだ。
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貧民の人格喪失とその回復◆労働者の抑圧とその解放◆労働運動の展開とその分極化◆下層農民の窮迫とその解放◆日本社会の退廃と神の国運動 著者:隅谷三喜男(1916-2003、港区、経済学者) 解説:小林正弥(1963-、政治学者)
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ずいぶん以前に『死線を越えて』は読んだ。 読んだけど…恥ずかしながら、「貧民窟」の悲惨な状況の描写以外はあまり印象に残らなかった。 本書は、賀川豊彦の評伝。 労働運動、農民運動から生協活動へ転じ、晩年は宗教的な思索をした賀川の足取りがよく分かった。 献身的な奮闘にも関わらず、労...
ずいぶん以前に『死線を越えて』は読んだ。 読んだけど…恥ずかしながら、「貧民窟」の悲惨な状況の描写以外はあまり印象に残らなかった。 本書は、賀川豊彦の評伝。 労働運動、農民運動から生協活動へ転じ、晩年は宗教的な思索をした賀川の足取りがよく分かった。 献身的な奮闘にも関わらず、労働運動でも農民運動でも居場所を失っていく過程が痛ましかった。 国の弾圧のもとに、革命を求める過激な考えへ傾いていく大勢をとどめられなかったということらしい。 キリスト者が社会運動に深く関わるのは明治以降、しばしば見られる。 偏見かも知れないが、その傾向は大正期にピークとなり、その後、戦後に至るまで下火になっている気がする。 どうしてこの時期、宗教者がここまでやる気になれたのだろう。
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