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原発とヒロシマ 「原子力平和利用」の真相 岩波ブックレット819
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2011/10/11 |
JAN | 9784002708195 |
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原発とヒロシマ
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ヒロシマの原爆被害者達が、アイゼンハワーの「核の平和利用」戦略の下で、核兵器廃絶を強く打ち出しながらも、自らの被爆が生かされて平和のために書くが用いられることを望むかのように誘導された。 アメリカの巧みな戦略と、日本でこれに全面協力した読売新聞、正力松太郎、中曽根康弘などの罪...
ヒロシマの原爆被害者達が、アイゼンハワーの「核の平和利用」戦略の下で、核兵器廃絶を強く打ち出しながらも、自らの被爆が生かされて平和のために書くが用いられることを望むかのように誘導された。 アメリカの巧みな戦略と、日本でこれに全面協力した読売新聞、正力松太郎、中曽根康弘などの罪を暴く書。 運動家も、当初から平和利用に惑わされてきたことが具体的な資料からも判る。 この書の告発を受け、核の本質に迫った運動が、福島を経て展開されることを期待したい。
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なぜ被爆国は、戦後 原発政策へと突き進んだのか? 1950年代のアメリカが核戦略を推進するための「原子力平和利用」政策に、被爆地広島も組み込まれた。日本の原発政策の原点を問う。 岩波ブックレット 薄い本だけど読む価値ある充実した本 政策によって原爆被害者も原発を受け入れてしまっ...
なぜ被爆国は、戦後 原発政策へと突き進んだのか? 1950年代のアメリカが核戦略を推進するための「原子力平和利用」政策に、被爆地広島も組み込まれた。日本の原発政策の原点を問う。 岩波ブックレット 薄い本だけど読む価値ある充実した本 政策によって原爆被害者も原発を受け入れてしまった過去の現実
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日本の原発政策の「原点」には、1950年代からの「原子力平和利用」政策があり、これはアメリカの核戦略推進のために打ち出された。被爆地・広島も、この「平和利用」に組み込まれ、被爆者たちは宣伝工作のターゲットにされた。 ビキニ水爆実験の2ヶ月前、「広島に原発建設を」という提案さえ...
日本の原発政策の「原点」には、1950年代からの「原子力平和利用」政策があり、これはアメリカの核戦略推進のために打ち出された。被爆地・広島も、この「平和利用」に組み込まれ、被爆者たちは宣伝工作のターゲットにされた。 ビキニ水爆実験の2ヶ月前、「広島に原発建設を」という提案さえあった。マンハッタン計画に関わった経歴をもつ科学者ルウ・ポーターが1954年1月に広島を訪問、原爆被害を受けた広島市の実情を詳しく調査し、その折りに広島市長に対してこんなことを語っている。 ▼「広島市が原爆のために最も大きな惨害を被ったことからしても原子力の平和時使用もまた優先的に恩恵に浴すべきことを主張する権利がある。…」(p.28) 同じ年に、アメリカ原子力委員会のトーマス・マレーが、アメリカの援助による原発を日本国内で建設することを提唱し、「広島と長崎の記憶が鮮明である間に、日本のような国に原子力発電所を建設することは、われわれのすべてを両都市に加えた殺傷の記憶から遠ざからせることのできる劇的でかつキリスト教的精神に沿うものである」(pp.28-29)と述べたという。 こうした提唱に対し、被爆者でもあった当時の浜井信三広島市長は「医学的な問題が解決されたなら、広島は"死の原子力"を"生"のために利用することは大歓迎」(p.29)と述べ、やはり被爆者で『原爆の子』の編纂にあたった長田新も「米国のヒモつきでなく、民主平和的な原子力研究が望ましい」(p.30)と、条件はつけながらも「平和利用」に関しては賛意を表明していた。 これに対して、原水禁運動の中心的人物だった森瀧市郎は、平和利用に拒否反応を示している。「アメリカ人に広島の犠牲のことがそれほどまっすぐに考えられることならば、何よりもまず現に原子病で苦しんでいる広島の原爆被害者の治療と生活の両面にわたって一部の篤志家だけに任せないで、国として積極的な援助を示してほしい」(p.30)と。 そして、原発が原爆製造用に転化される懸念、原発で生じる多量の放射性物質が住民に与える影響については未知で治療法も確立されていないこと、平和利用であってもアメリカの制約を受けること、戦争が起きた場合には広島が最初の目標になる危険性、と今も通用する反対理由を森瀧は主張していた。 その森瀧でさえ、全国的な「平和利用」賛成の趨勢におされ、態度が後退したこともあった。 折しも、ビキニ水爆実験による第五福竜丸の被爆は日本国内に、現在よりもよほど大きな反核運動をもたらした。原水爆禁止を求める署名は3000万集まった。これは成人人口のおよそ半分にあたる数だった。 そういううねりのなかで、ことばのマジックなのか、「原子力平和利用」キャンペーンは進められていく。1955年には、東京で「原子力平和利用博覧会」(読売新聞社主催)が開かれ、全国巡回の最後には広島でもおこなわれた。正力松太郎がこれらに深く関わっている。 この博覧会の際に配布された「原子力平和利用の栞」の内容がすごい。発電のみならず、医療、農業、工業など様々な分野での原子力の"恩恵"が列挙されている。その雰囲気は、この10月に「放射線等の基礎的な性質について理解を深める」ためにと文科省が出した極悪な(と私には思える)放射線の副読本に似て、原子力は、こんなに世の中の役に立ってるんだヨ!と言わんばかりである。 博覧会によせて、中国新聞に掲載された各界の人物のメッセージからは、「核兵器=絶対悪」「原子力平和利用=繁栄」という対照的な捉え方が多く読みとれる。原子力で徹底的に破壊された死の街・広島で、原子力の持つ超越的で強大な"生命力"という幻想が、よりくっきりと映えたのだろう。 原水禁世界大会でも、「原子力の民主的な平和利用」こそが様々な経済社会問題を解決する魔法の鍵であるかのようなメッセージが、分裂まで毎年繰り返されたという。 1953年、アイゼンハワー米大統領が"Atoms for Peace"という国連演説をおこなってから、わずかともいえる期間のあいだに、日本は被爆者までも、その「原子力の平和利用」を大して疑うことなく、賛意を表明するようになっていったとこの本は伝える。 「いかなる歴史的背景のために日本の反核兵器運動と反原発運動は最初から乖離し、その結果、両方が弱体化してしまったのか」(p.61)、そのことをまず知ることのできる本。過去の歴史と厳しく向き合うドイツの歴史教育が言及されていて、それとあまりに対照的な日本の歴史教育における態度が、ここまで原発という「平和利用」を進めさせてきた自分たちの態度に地続きなのだ、と深く思わされた。 (11/26了)
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