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失われた時を求めて(6) 第三篇 ゲルマントの方2
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失われた時を求めて(6) 第三篇 ゲルマントの方2

マルセル・プルースト(著者), 鈴木道彦(著者)

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失われた時を求めて(6) 第三篇 ゲルマントの方2

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 集英社
発売年月日 1998/05/20
JAN 9784081440061

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2013/03/07
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※このレビューにはネタバレを含みます

第三篇「ゲルマントの方」の舞台はパリ。一家は祖母の健康のため、ゲルマント家の屋敷内の一角に転居する。憧れのゲルマント夫人を一目見ようと、毎日夫人の散歩コースに出かける「私」だったが、夫人には疎んじられてしまう。「私」は、正式に夫人に紹介してもらうため、サン=ルーのいるドン・シエールに向かう。しかし、頼みのサン=ルーもまた恋人に振り回されていた。パリに帰った「私」を待ち受けていたのは祖母の死だった。そんな折、パリを訪れたアルベルチーヌとよりを戻すが、心は既に彼女から離れていた。そして、ついに念願叶い、ゲルマント家の晩餐会に招かれることになる。そこで見た噂に高いゲルマント家の才気とは、どのようなものだったか。 プルーストは複数の主題を同時に展開していく。厖大な数の人物が登場し、長期に渉って展開される本作には、表立って語られるドレーフュス事件のような人種差別問題や、シャルリュス男爵に象徴される同性愛の話題以外にも、全編を通じて繰り広げられるプルースト的主題が、少しずつ小出しに繰り返し登場する。 たとえば、「名と実」の主題。「たくさんの旅を夢見ながら、ごくわずかの旅行しかしない私」にとって、事物はまず何より「名」として現れる。それは、バルベックやヴェネツィアのような「土地の名」に限らず、ゲルマント家に代表される名だたる王侯貴族のような家や人物にもあてはまる。そして、絶えず繰り返される主題とは「名」によって想像力をかき立てられ、肥大化したイメージが、「実」物の姿によって裏切られてしまうことである。 ファッフェンハイム=ミュンスターブルク=ヴァイニンゲン大公の場合を例にとれば、「私」は「大公が、たくさんの地の精(グノーム)や水の精(オンディーヌ)の住む森や川、ルターやルイ=ジェルマニックの思い出をとどめる古い城館のそびえる魔法の山などから得た収入を、五台のシャロンの自動車、パリとロンドンの邸宅、オペラ座の月曜日のボックス席と「フランセ」の「火曜日」を手に入れるために注ぎ込んだことを」知る。 伝説的な貴族の名門ゲルマント家の場合も事情は似たようなものだ。フォーブール=サンジェルマンを代表する超一流のサロンでは何が話題になり、そこに集まる人々はどのように振る舞うのか、期待に満ちてサロンを訪れた「私」の前に展開される光景は、名門意識に凝り固まり、三流のサロンに集まる人々を侮蔑しきった上流貴族の鼻持ちならないスノビズム(俗物根性)であったり、ただただ「才気(エスプリ)」あるところを披瀝するという目的のために、自分の近くにいる人々を寄ってたかって中傷したり貶めたりする身勝手な上流人士の姿である。 また、親友サン=ルーが家族親戚の大反対にもかかわらず入れあげている恋人ラシェルは、なんとかつて売春宿で見かけた「私」が「ラシェルよ主の」とあだ名を付けた娼婦であったりもする。あれほどゲルマント公爵夫人のサロンに憧れていた「私」だが、ゲルマント公爵夫人に早くも失望している。なるほど、ユゴーの詩を諳んじたり、名高い画家や音楽家の芸術についても語ることはできる。しかし、それらは既に価値が定まったものである。自らが無名の芸術を見出すような審美眼は到底期待できない。「名」によって肥大化した欲望が実体によって裏切られるという主題こそ、プルースト的主題を代表するものといっていいだろう。 さらには「失われた時」の主題がある。「私」は時に、「物」が「私」に対してその存在を開示する瞬間に立ち会うことがある。「私」の中にある芸術家的な部分はそれに反応し、待ちわびた瞬間を何とか自分のものにしようと焦るのだが、つねに人といる「私」は、いつもつかみそこなってしまう。原題にある「re temps perdu」はフランス語では「時を無駄に過ごす」という意味があるそうだが、「私」によって微に入り細を穿って描写される華やかな社交界での才気溢れる会話も貴族やその夫人たちの豪華な衣装も、そういう視点から見れば厖大な時間の蕩尽の成果といえるだろう。もっとも、「私」は、この「失われた時」を最終篇「見出された時」においてあらたに再発見することになるのだが。(ゲルマントの方1を含む)

Posted by ブクログ

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