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津浪と村
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津浪と村

山口弥一郎【著】, 石井正己, 川島秀一【編】

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津浪と村

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 三弥井書店
発売年月日 2011/06/01
JAN 9784838232116

津浪と村

¥1,870

商品レビュー

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2018/11/05

オリジナルは昭和18年刊行。直近の大津浪から約10年が経過したところ。 第一篇「津浪と村の調査記録」は、昭和10年に師匠の田中館先生との同行から始まって、その後何年にもわたって繰り返された調査旅行を、南は牡鹿半島から北は下北半島の尻屋崎まで北上する順に再構成して記述していく。第...

オリジナルは昭和18年刊行。直近の大津浪から約10年が経過したところ。 第一篇「津浪と村の調査記録」は、昭和10年に師匠の田中館先生との同行から始まって、その後何年にもわたって繰り返された調査旅行を、南は牡鹿半島から北は下北半島の尻屋崎まで北上する順に再構成して記述していく。第二編「村々の再興」では、津浪後の集落移転についてあらためて横並びに分析する。 集落ごとに1896年の津浪後の集団移転の試みが、1933年の津浪被害にどう影響したかが述べられている。対応、顛末は集落によりバラバラであるが、きれいに集団移転できた集落は少ない。一度は移転したが不便さにより原地復帰したパターンが多いようだ。また集落成員のほとんどが犠牲になって移住者で再興されたがために、被害の知識が伝わらずに低地に居を構えてしまった皮肉もある。また、移住者が浜に居を構えると、高地移転した漁業者も生業上不利になるのでつられるように浜に移転してしまう。 集落移転がうまくいかなかった要因は、漁民が海から離れる不便さ、井戸確保の困難、土地不足、氏神の所に戻ってしまうなどだ。現在に置き換えると、漁民が高地に移る不便さも自動車の普及で緩和されているだろうし、水道も何とかなるだろう。住宅地が絶対的に足りない地勢のところはともかく、耕地の必要も当時ほどではないだろう。昔は諦観して原地復興していたのが、1896年、1933年と経るごとに、文明の進歩にともなって段々と移転の方向へ動く傾向も感じられる。また、過去は人口増の圧力があった時代が多いだろうが、幸か不幸か今は違う。 しかし、都市化が進んだ地域では移転が困難なことを著者は指摘する。まさに、それが現代では当時と違う阻害要因かもしれない。いくら中央で案を考えても、住民主導でなければ何十年後も持ちこたえる移転はできないのではないか。google earthと照らし合わせると、1933年の津波を受けて移転した後にも、再び建物(住宅も多いように見える)が建って流されたところが多い。一方その隣で、高台の移転先集落はキチンと無事であったりする。 ずっと昔の集落跡が高地に多いことも触れられる。昔の人が、伝承により津浪の危険を知っていたのか。もしくは低地にも集落があったが、何十年かに一度は流されてしまうので跡を見出しにくいのかもしれない。田老の海岸を掘ると、浜砂の下から茅などが出てくるとあるのが、その証左かもしれない。大学の授業で聞いたことのある昔のアフリカの話、眠り病(河川盲目症だったか?)によってヒトが川沿いの低地と高地の間をずっと増減を繰り返しながら暮らしていたという話を思い出した。自然の一部としてのヒトである。 東北太平洋岸の地勢もあらためて認識した。津浪被害が甚大となりやすいリアス式海岸は大船渡(南)から宮古(北)にかけて。それより北の岩手県北半分は海岸段丘が発達して海べりにはほとんど人が住める土地がない(まれに住める所は被害大)。集落は一般に高地に引っ込んで山村に近い性格を持つ。さらに青森まで行くと砂丘になる。津浪被害は三陸ほどではないが、後背が山がちでないせいか明治より前に海岸べりを引き払って内陸に引っ込んでいる集落もある。一方、南は牡鹿半島あたりまでは湾がちな地形で被害も多い。さらにその南は、本書では触れられないが仙台平野。波高は高くなりにくいが、今回の津浪ではかなり内陸まで津浪が押し寄せて被害が出た。 第三篇「家の再興」では、構成員が全滅したような世帯でも、近親者、他家へ嫁いだものの呼び戻し、場合によっては無関係なものまで世話役が連れてきて「家」を復興させる様が記録されている。これは民俗的には家の仏を守る意味合いがあり、経済的には土地、漁業権といった資産、さらには義捐金の受け皿となる意味合いがあった(今だと無関係な人に家を継がせて義捐金をもらわせたら問題になるだろうな)。家に焦点が当たるところは今とはだいぶ感覚が違うようだが、経済的な観点もあわせ考えると、「家」は社会的ニッチを現しているようにも思う。人口増加圧力はあった時代だろう。例えば被災しなかった世帯の次男坊だとかにしてみれば家を継ぐニーズはあったはずだ。また、被災地への人口流入は、内陸よりかは、南から来る同じ漁業者(移動性に富む)による所が大きかった。 最後に、1960年のチリ地震津波の前後の新聞への寄稿を収める。当時にしてみると「想定外」の被害だったようだが、著者は、三陸地震の津波であればこんなものではない、と警鐘を鳴らしている。

Posted by ブクログ

2018/10/09

明治の大津波と昭和8年の津波の時の復興の記録。復興の記録って意外と無いのだそうです。主に高台移転の話多し。かつてなかなか高台移転が進まなかった様子、その理由などを三陸の南から北まで自分の足(時には船を使って)で歩いた記録。

Posted by ブクログ

2012/04/23

新聞の書評欄に紹介されていたので購入。 明治29年と昭和18年のそれぞれ2度にわたる 三陸海岸を襲った津浪(津波でなく)を 一村、一村を歩きたずねて調査した記録と分析。 復刻版ですが、 今回の東日本大震災のことを述べているような 既視感にとらわれる。 津浪にひどい目にあいながら、...

新聞の書評欄に紹介されていたので購入。 明治29年と昭和18年のそれぞれ2度にわたる 三陸海岸を襲った津浪(津波でなく)を 一村、一村を歩きたずねて調査した記録と分析。 復刻版ですが、 今回の東日本大震災のことを述べているような 既視感にとらわれる。 津浪にひどい目にあいながら、なぜ海の近くに 家を建てるのか? 一族が途絶えさせないために遠い縁戚から養子を迎える。 東北の視点から、なおかつ客観的な学際的な視点を忘れずに 記述された貴重な書。 東北を復興する上で、 一読すべき本だと思います。

Posted by ブクログ

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