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シュンポシオン
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | ベネッセコーポレーション |
発売年月日 | 1985/11/01 |
JAN | 9784828821665 |
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シュンポシオン
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商品レビュー
4.3
6件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
桂子さんシリーズ3冊目、時系列的には次の『交歓』より後の話を一足先に読みつつ、『ポポイ』よりは前という理解。さすがに自分でも家系図を書いてしまいましたw (『ポポイ』では夫婦として紹介され、聡子さんが私は明さん釣り上げたからねみたいな発言ありましたし) 内容としては終末SFとも取れる、「20XX年、核戦争の予兆の熱い夏」が舞台の、典雅なストーリーとなっていて、小説として重くもなく、軽くもなく丁度よいです。桂子さんシリーズあと『交歓』『よもつひらさか往還』『酔郷譚』と三作しかないのかと思うと悲しい、、大好き、、 …このままでは二人とも死んでしまふ、と思つた時、この死の観念がふいに甘く全身を麻痺させた。明さんはもがくのを止めて息を詰めたまま水中で聡子さんを優しく抱きしめるやうにした。かうやつて心中すればいいのだと覚悟を決めて、その心中の観念に酔つてしまふと、うそのやうに恐怖は去つた…(p42) …「夏の盛りに、太陽が白く熱してだんだん下りてくる。そして宙に止まつたまま動かなくなつて時間も止まる。そんな感じがしたことつてありませんかしら」と急に聡子さんがマラルメの詩にでも出てきさうなことを言ひだした。…「ぼくは子供の頃、太陽が余りの暑さに海に飛びこんで水浴びをしてゐる夢をよく見たものだ。すると自分がその太陽のつもりなのか、夢の中で水の冷たさを感じて気持がよかつた」… 「恋人同士つてみんなさうでせう。二つの太陽が抱き合つて融け合つて、といふのはできない相談ですから」「それで抱き合ふ時は冷たい水の中がいいんでせう」…「理想を言へば、水中で抱き合つて魚のくちづけ。これが冷たくて水つぽくて最上だらう。太陽の抱擁といふのは苦手だな。…」(p72-73) この太陽と魚の比喩はこのあとも出てくるし、この小説自体に流れている夏、太陽、海というものが世界の破滅の予感にはぴったりで、好きだった…。 女としては太陽であり神のような男を求めるわけで、その点に関してはとても同意だった。 「つまり男にとつて女房は時々撫でても触つてもいい愛玩動物か愛用の道具であれば理想的だ。女にとつて亭主は普段は邪魔にならない飼主であればいいが、本質は神で、折にふれてそのことを思ひ出させるだけの威力と魅力がなくてはならない」…「女は聡明であれば邪魔にならないペットか道具の役は務まる。しかし男は…とても神にはなれないな」「神様がそんな愚痴をおつしやつては困ります」(p175)このじゃれ合いの中の文章がそれな?すぎて感動していました。 このあとの「…温かい海の部分で接合して魚を泳がせることになるのが自然の成行きである。暑苦しい接触抜きの、この海の部分だけでの接合の間、体のほかの部分は消えうせて、自分が海と化してしまふ。海のなかには原初の生命に還つたやうな平安がある。要するに明さんにしてみればこれは何よりもニルヴァーナに近い状態だつた…(p176)という部分も好きでした。 それから本作は山尾悠子作品の雰囲気を感じさせる部分があって、山尾悠子こういうところからの派生なのだなという風に繋がりは一番感じたかもしれない。女乞食の話のところなんて特にで、「この女乞食は向日性の生きもののやうに太陽を求めて外へさまよひ出たに違ひない…つまり人の足元を駆け抜ける犬のやうに透明な存在ではないかと、ふと思つたのである。それにひよつとすると乞食といふものは同時にいくつもの場所に存在する幻想的な悲惨そのもので、互ひに区別もされず、だから本当は何人ゐるのかもわからない存在なのかもしれない」(p113)なんていう部分はまさに、で、特に本作は『飛ぶ孔雀』の川のイメージなどとすごくオーバーラップするところがあった。
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「夢の浮橋」「城の中の城」「交歓」と読んできて、作品内の時系列の上ではいちおう最後の桂子さんシリーズ。今回は桂子さんが主人公ではない。彼女はすでに老齢に達していて、あくまで物語の脇役に留まっている。 今回は戦争を横目に、優雅な生活を送る彼女たちだが、それはありがちなSFと違っ...
「夢の浮橋」「城の中の城」「交歓」と読んできて、作品内の時系列の上ではいちおう最後の桂子さんシリーズ。今回は桂子さんが主人公ではない。彼女はすでに老齢に達していて、あくまで物語の脇役に留まっている。 今回は戦争を横目に、優雅な生活を送る彼女たちだが、それはありがちなSFと違って、ヤケクソでも、蕩尽でもない。ただ混乱する情勢を無視して、本編中に出てくる表現を借りるなら「非真面目」に、典雅な暮らしを謳歌しているだけだ。だから同じ日本で起こっていることも、どこか彼女たちの目には他人事のように映る。むしろそれよりも大事なのは、美と知と愛を浴びるほどに摂取すること。 一見現実逃避にも見えるだろう。しかしこれもまた、物語という形式のなせる荒技であり、特権でもあるのだ。彼女らの生活が虚構といえるのであれば、それを脅かす戦争もまた、物語の生み出した虚構に過ぎない。読者は本作の両翼を、片方は欲望と憧憬の、もう片方は不安の結晶として読みこなしていくしかない。 本作を一言で評するのであれば、このように「揺蕩う結晶」と呼べるかもしれない。人工的な純粋な物語の世界。究極的には何者でもない、しかし何者でもないがゆえに、どこに続いているのかも不明な広大なガラスの迷宮それ自体なのだ。 精緻な表現は物語を純化させ、虚構により輝きを与える。読後に訪れたのは、ついにこの世界を「お開き」にしなければならないという虚脱感だけだった。だから、この世界から帰ってきたあと、手元にはただ「シュンポシオン」の生み出した一個の時間しか残っていない。そしてそれこそ、倉橋由美子によって脳に植えつけられた人工と虚構のノスタルジーなのだろう。
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桂子さんシリーズ第三弾(出版は1985年).舞台は2010年頃の海辺の別荘.桂子さんは60代.父君から受け継いだ出版社の社長であり.元首相のパートナーでもある. 桂子さんの孫の聡子さん,そして桂子さんの元恋人宮沢耕一さんの息子明さんの二人の恋愛が軸に進むが,本当の主役はこの別荘に...
桂子さんシリーズ第三弾(出版は1985年).舞台は2010年頃の海辺の別荘.桂子さんは60代.父君から受け継いだ出版社の社長であり.元首相のパートナーでもある. 桂子さんの孫の聡子さん,そして桂子さんの元恋人宮沢耕一さんの息子明さんの二人の恋愛が軸に進むが,本当の主役はこの別荘に夏休みに集まるハイソな人たちの,美味しいものを食べながら,美味しいお酒を飲みながら,何度となく続くシュンポシオン(饗宴).粋で芳醇な会話を読んでこちらも酔ってしまいそう.あまりに粋すぎて,無粋な私にはついていけないところもあるが,最近の小説とは異質の楽しさがある. この単行本は旧仮名づかひ.作者が1985年にそれを選択した理由はあるはずだが,電子書籍になっている新潮文庫は新かななんだろうな.
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