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喜劇とは何か モリエールとチェーホフに因んで
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 未知谷 |
発売年月日 | 2011/05/21 |
JAN | 9784896423419 |
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喜劇とは何か
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『零度のエクリチュール』の邦訳などで知られ、今年はめでたく卒寿を迎える評論家・渡辺淳の新著は、世界最高の座を二分する喜劇作家であるモリエール、そしてチェーホフの現代における存在意義を説いた『喜劇とは何か』(未知谷 刊)である。 たとえばパリを訪れた旅行者は、キオスクで情報誌『...
『零度のエクリチュール』の邦訳などで知られ、今年はめでたく卒寿を迎える評論家・渡辺淳の新著は、世界最高の座を二分する喜劇作家であるモリエール、そしてチェーホフの現代における存在意義を説いた『喜劇とは何か』(未知谷 刊)である。 たとえばパリを訪れた旅行者は、キオスクで情報誌『パリスコープ』を買って見たい作品を物色すると、誌面上では、喜劇に限らず劇映画のすべてに「コメディ・ドラマティーク」なる不可思議な分類がなされていることに気づくだろう。日本ではよく「ヒューマン」と分類されるものが、これにあたるように思われる。こうした分類法の根源的意味を知りたいと考えたことのある方なら、ぜひ本書を手に取ることをお薦めするものである。 金融恐慌、政界汚職、結婚詐欺にまみれる現代は、モリエールの時代に劣らずまさに喜劇の宝庫と言えるが、果たして現代作家がその好機を十全に利用していると言えるのか、という問題提起によって上記の有名すぎる2人の大家が召喚される。手垢にまみれた大家を論じることは、つねに書き手に多大な緊張と危機感をもたらすものだが、渡辺の筆致は、老大家ならではの怖いもの知らずの爽快さだ。 いかなる笑劇(ファルス)の契機が、いかなる喜劇(コメディ)の具が、苛酷な現代を生きる私たちにもたらされるのか。著者は問う。現東京都知事・石原慎太郎の東日本大震災に際しての「天罰」発言、これを喜劇の具たりえるのかと。 著者の答えは簡単で、これらは、喜劇はおろか笑劇の題材にさえならぬ単なる愚行に過ぎず、英BBCが広島と長崎の両都市でダブル被爆した日本人を「世界一運の悪い男」としてお笑い番組の「ネタ」に使用したエピソードと同根のものであるということである。ここに喜劇の契機となる諷刺を探すならば、「こうした扱いこそが逆に、笑劇を超えて喜劇創出の必要性を反面教師として示唆してもいるのではないだろうか」ということになる。 では、離婚を決意した夫人に「原発事故の後、夫は東北の地元慰問を拒むどころか、自分の食器をミネラルウォーターで洗わせた男であり、その存在は日本のためにならない」などと弾劾せしめた小沢一郎という陰気な権力者の閨房を、一篇のトラジ・コメディ(悲喜劇)に仕立てることはできるのだろうか。これは喜劇だろう。黒澤なら大仰な黙示録にしてしまうところだろうが、増村保造あたりなら、小沢の胆力の欠如を嗤うと同時に、「日本のためにならない」などといったセリフをどこのメディアがたくみに利用するかという地点で陰惨きわまりない喜劇をでっち上げることだろう。 考えてみれば、原発事故が起きたとき、「洗髪も食器洗いもヴィッテルやエヴィアンでおこなったほうがいいのか?」などとうろたえることじたいは悪徳ではあるまい。単に保守政治家としての沽券にかかわるといった程度の事情にすぎないのだ。夫人の告発を国内の大新聞がまるで報じないことに外国メディアが気づいて騒ぎ出したころ、告発から一週間も経過した6月22日、読売新聞HPが突如としてトップ級の扱いでこの件を報じたのだから、与党分裂騒動の折、裏側ではなにがしかの喜劇的な申し合わせが存在することだろう。 P.S. 本書のもっとも「喜劇的な」瞬間は巻末の「あとがき」にやってくる。まずこの書物を「戦後長年連れ添い、またひととき演劇にも係わった亡き妻トヨ子(2007年癌で急逝)に手向けることを申し添えておきたい」と述べて、読者の読後感をいったん静かな良心で満たしたすぐあとに、「本書の作成に手を貸してくれた、もと大学の教え子で、このたび再婚した妻で助手の美智子に感謝」と90歳の老人は言い放ってはばからない。これぞ、愉悦満ちたる人間喜劇であろう。 日本最大の喜劇作家・小津安二郎が寂寥と福々しさを極上の配分で調合した畢生のコメディ・ドラマティーク『秋刀魚の味』(1962)において、大学教授役の北竜二が前々作『秋日和』(1960)での屈辱を晴らすかのように助手の女性を「若い細君」とし、親友どうしの酒席もそこそこに、なにやら強壮剤らしき錠剤を友の前で服用しようとするシーンの、申し分のない喜劇的瞬間を思い出す。そして、ラスト近くで中村伸郎が一同をからかうように言う「きれい好き、夜はすこぶる汚な好き、てね…」のセリフはまさに、モリエール的と言えないだろうか。
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