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地上を渡る声
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 書肆山田 |
発売年月日 | 2006/04/01 |
JAN | 9784879956682 |
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地上を渡る声
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商品レビュー
5
3件のお客様レビュー
色褪せた、どこか懐かしさを感じる詩集でした。 テーマはやっぱり死とか、喪失であったりとかするのだけれども、例えるならば遺影の懐かしさ。微笑みを浮かべた故人が、まだ生命のリズムを刻んでいる頃に撮った遺影に見る懐かしさに似ているのだろうと思いました。 大好きです。
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小池昌代の出した本の中でも今のところ一番好きな本。 簡単に見過ごしてしまうようなことまでもを感覚で摑みとり、それを舐めるように触りながら、かつ無表情にそれを観察し語り続ける。 そして時折、外からの声が突然割って入ったりする。ドキンとする。 そのような「声」は私自身の中にもいる。...
小池昌代の出した本の中でも今のところ一番好きな本。 簡単に見過ごしてしまうようなことまでもを感覚で摑みとり、それを舐めるように触りながら、かつ無表情にそれを観察し語り続ける。 そして時折、外からの声が突然割って入ったりする。ドキンとする。 そのような「声」は私自身の中にもいる。きっと誰しもその「声」を抱えている。小池昌代の詩の中に現れるその「声」は、いつも私の中にいる「声」と時折シンクロするほど耳元近くで話しかける。 私はどちらの声にドキンとしているのだろうかと思った。
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「それでも眠るとき、自分自身に意識が集中すると、時々、思い出したように、耳鳴りがすることがある。そんなとき、自分が自分であることに絶望する。自分のなかから自分は出られない。自分の声に自分の耳はふさげない。いつか来る、死のときまで」 この詩集の小池昌代は時々余りにも共感を呼び覚...
「それでも眠るとき、自分自身に意識が集中すると、時々、思い出したように、耳鳴りがすることがある。そんなとき、自分が自分であることに絶望する。自分のなかから自分は出られない。自分の声に自分の耳はふさげない。いつか来る、死のときまで」 この詩集の小池昌代は時々余りにも共感を呼び覚ます言葉を連ねていることがある。「ああ、そんなにストレートに言ってしまっていいのか。詩人ならばその感情をメタモルフォーゼして、身構えて言葉を待ち受けるモノの守備をするりと通り抜け、その守られた内側で一気に開花するような呪文のような文字列として言葉を吐くべきではないのか」と勝手な想いがよぎる。 もちろん切り取られた断片的な言葉の妙、何気なく配置された短い言葉の強さにしびれる詩もある。しかしこの詩集の中で詩人はもっぱら佇んでいる。考えている。考えていることを曝け出している。頭で生きている。 ああ、もっと体で感じるような詩に触れたい、と思った刹那、易々と、余りに易々と、小池昌代的な言葉が並べられているのを目にする。くぅとうなる。そして、はたと思ったりするわけである。守るべきものの存在が詩人の内にあることを。それが裏腹に持つ喪失感への恐怖を呼び起こしていることも。 それが迷いとなり、苦悩となる。苦悩は苦脳であって頭の中のできごとだ。体は必然置き去りにされる。しかし、この詩人の天賦の才は、そんな麻痺状態の中に在って体の記憶を手繰り寄せることができることである、と思う。その過程において、小池昌代の持つ湿り気が生まれてくるのだとも思う。 その端的な形が34篇ある詩の中で33番目に置かれた詩であると思う。このうたに最もしびれた。そしてその中に詩集全体の構図も透けて見える。 それは自分自身の存在への問いから始まり、感覚が導く出口への迷路。まるでAlice in Wonderlandのような。猫の無いにやにやのような。そんな答え。
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