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最後の戦犯死刑囚 西村琢磨中将とある教誨師の記録 平凡社新書585
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 平凡社 |
発売年月日 | 2011/05/16 |
JAN | 9784582855852 |
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最後の戦犯死刑囚
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政治の場でもビジネスシーンでも、リーダーが結果の責任を取るのは至極、当たり前のことだ。だが、果たして近年の政治の場で、部下となる大臣の不祥事の責任を取ったり、プロジェクトの遅延やコスト超過などの失敗に対してきっちり非を認め謝罪し、相応の処置で責任を果たしたと言えるような人物を見だ...
政治の場でもビジネスシーンでも、リーダーが結果の責任を取るのは至極、当たり前のことだ。だが、果たして近年の政治の場で、部下となる大臣の不祥事の責任を取ったり、プロジェクトの遅延やコスト超過などの失敗に対してきっちり非を認め謝罪し、相応の処置で責任を果たしたと言えるような人物を見だ事があっただろうか。言い訳、失敗の原因を有耶無耶にして、別の責任の取り方、例えば、事実を明らかにして再発を防止する、と言ったような、一見正しくも見えてしまう別の行動にすり替えていく事があまりに多いように感じる。結果は失敗でも、ある別の視点から見れば成功だったと捉えるような、結果自体を別物に塗り替えて、正当化することも実に多い。 実際に政治の場なら逮捕者がでたり、ビジネスシーンなら決められた期日に終わっていない、追加予算が何億も発生したなど、変えようの無い事実があるにも関わらず、そうした行為が罷り通るから、率いた人物も自分の非や失敗を認める気持ちが薄れ、結局事態収集のためにあたかも決意新たに邁進しているように見える事が多いのだ。 周りは意外と冷静に見ている。真実を知りながら、自分もその一端を担っている事を理解しているから、保身や目先の利益に目が眩んで(事なかれ主義も)、一緒になって責任回避に努める。時には隠蔽と言えるような事実無公表や数字を曖昧にぼやかすなど、加担する者があまりに多い。それが現代ビジネスシーンで強い組織だと、勘違いする有様だ。 確かにそうした組織は暫くは生き延びる事は出来ても、新たな利益や価値を将来に渡って生み出す事は、到底期待できない。よってその様な組織を抱える会社自体も足を引っ張られ成長しない。そんな負の連鎖反応も、社長が自分の代に損失や失敗が発生したとなれば、輝かしい経歴に傷がつくから、見て見ぬふり、気づかないふりをし、事なかれ主義に徹する。会社の停滞・衰退などの多くはこうした責任回避、自己保身、事なかれ主義に起因しているのではないか。 斯く言う私でも、間違いなく失敗は恐れている。約束を守れなければ、自分にどの様な評価が下るかも知っている。だからこそ、失敗しないように綿密に計画し、予測し、想像力を最大限に膨らませ、リスクを想定し準備するといった行動に繋がる。上が責任取らなければ、ああ、アイツも辞めないんだから自分への処分も甘くなるな、と前述の様な行動意欲は起こらない。 話は大分内容からは逸れたが、太平洋戦争史には責任の取り方で物議を醸す出来事が多くある。戦争自体に負けた事(これすら失敗なのか、その後の日本経済の爆発的な成長をもたらした成功と見るか)もあるが、勝ちに勢いづいた前半戦の最中にも、捕虜虐殺や民間人殺傷などあらゆる失敗があったのは間違いない。だからこそ、その一つ一つに本来責任取るべき当事者と関係者が山の様に居るはずである。それを一つずつ他人が丁寧に紐解く事など出来ないから、各人が責任を意識して取る以外に方法はない。中には、当時の時代がそうさせたとか、戦争中は異常事態だから仕方ないといった考えを持つ者もいるだろう。その様な人は、自分で殺しておきながら、人としての罪の意識を持たないのだろうか。今、日本は平和で、勿論私が死に直面する様な状況に無いから、想像するのは難しい。だがそう簡単に人を殺めたり暴力を振るって何も罪の意識を持たない事などあり得るだろうか。 自分を正しく見つめているなら、多くの人、当時であれば国民全体が罪や責任の意識を持つのが当然の様に思える。今の世、政治家だけを批判して、テレビ越しにダメ出しをしてるだけの状況は、実は皆の責任意識が薄れた事を表している様に思える。 南方戦線で部下と共に熱帯の刑務所行きを決めた今村均。バターン死の行進の責任を取り潔く散った本間雅晴、そして本書に登場する西村琢磨など、最終的な責任の取り方は違えども、あらゆる形で責任をとった。それは部下に対する想いや、その後の国の在り方、残してゆく家族への気持ちなど、様々な想いを抱き、将来へ期待して旅立ったに違いない。 もし、私の部下が私の知り得ぬ所で不正をして、会社に損失を与えたり信用低下を招く様な行為をしたなら。私自身がどの様に考え行動するか、正直なところ不安でもある。本書や角田房子氏の「責任 ラバウルの将 今村均」などを読んで、自分に置き換えて考える時間は必要である。 西村中将の句が耳に残る。 「責めに生き責めに死するは長(おさ)たらむ 人の途(みち)なり 憾(うらみ)やはする」 父親の代から、同じ様に部下の責任を取りつづけた一族。その息子である中将が、父と同じ様に部下の行為に直面し死刑判決を受ける。そして最後の散りゆく際に何を考え、最後の日に向かって、どの様な気持ちで歩んだか。責任の在り方を考えさせられる一冊である。
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※このレビューにはネタバレを含みます
第二次世界大戦の戦争犯罪裁判といえば、ほとんどの日本人が東京裁判をイメージするかもしれない。実は僕自身がそう・・・というより、日本以外の連合国で 戦争犯罪裁判が行われていたことを、知らなかった。 本書は、1951年 昭和26年6月11日 マヌス島にて 第二次世界大戦の最後の戦争犯罪裁判 死刑囚となった西村琢磨中将の克明な記録である。 そして、その裁判は、前年の6月19日の裁判開始、数日後の6月22日の死刑判決から見ても無謀であり、その論拠に西村中将に戦争裁判を受けさせる理由は見受けられない。セカンド・タイガーと呼ばれた西村中将は、如何に自らに非がない事はおくびにも出さずに、部下に責任を負わせず一人静かに逝った。 西村中将の歌に 責めに生き責めに死するは長たらむ 人の途なり憾やはする ↓ 組織の責任者である自分は、 たとえ部下たちが犯した罪であれ 責めを負うのは人間として当然である 何ら恨むところはない ※本書P23-24 というものがある。 この歌に、己を省みないリーダーは少なくはないでしょう。 そして、子どもたちへの遺言は 1 復讐心を抱くな 2 自棄になるな 3 信仰をもて の3行であった。 特に復讐心を抱くなは、本書にも書かれているように 戦争が終り、未来に向けては日本とオーストラリアが必ず仲の良い国になるようにと、西村中将は願っている。 西村中将を企業のリーダーに置換えてみたとき ここまで責任を全うしているリーダーは、いるのであろうか。 もちろん それは自分自身にも言える事で 本書を読んで、リーダーのとるべき姿を自分自身は出来ているのであろうかと 振り返ってみてしまった。 中田整一著『最後の戦犯死刑囚』平凡社新書より。
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