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憑霊の民俗 三弥井民俗選書
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憑霊の民俗 三弥井民俗選書

川島秀一(著者)

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憑霊の民俗 三弥井民俗選書

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 三弥井書店
発売年月日 2003/08/01
JAN 9784838290604

憑霊の民俗

¥1,540

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2011/08/26

 東北地方に今も残る憑霊信仰についての学術書。 巻頭に「漁師の伝承」があり、東北の漁師たちが語り継いできた口承文芸とその民俗について述べられている。  水死体を引き上げると大漁に恵まれると信じられていることはよく知られている。そのため、海難事故の被害者捜索に漁師たちは協力的であ...

 東北地方に今も残る憑霊信仰についての学術書。 巻頭に「漁師の伝承」があり、東北の漁師たちが語り継いできた口承文芸とその民俗について述べられている。  水死体を引き上げると大漁に恵まれると信じられていることはよく知られている。そのため、海難事故の被害者捜索に漁師たちは協力的であるという。  果たして漁師たちはただ、「大漁」というご褒美に釣られて捜索に協力しているのだろうか。答えは否である。海という異界に挑む漁師たちがいかに神とともにあるか、本書を通じて自ずからその理解を深めることができる。  海は彼らに恵みを与えてくれる豊穣の神であると同時に、彼らの命を容赦なく奪う荒ぶる神でもある。怒りを鎮め、恵みを乞い願うことは、漁を行う上で必須である。むしろ、海神の信仰の先に漁があると言ってもいいかもしれない。    【沖言葉のように言葉そのものを忌むわけではないが、状況に応じて嫌っていることは、これから行なう漁について技術的なこと以外にあれこれと類推して語ることである。(略)魚を捕るということに対して合理的な思考で臨むことを嫌った(P10)】 漁とは神意そのものであり、人がそれにとやかく口出しをしてはならないのである。 不漁も大漁も神の意志である。ならば、それを垣間見せてもらうために「カミサマアソバセ」という神事を行う。  【カミサマアソバセの日には、この地方でオカミサンと呼ばれる巫女が、神様を下ろし、神様は巫女の口を借りて、その年のあらゆる漁の豊凶を予測する。その、神様の語る言葉を村の女性たちが聞きに行くことが、村々の重要な年中行事として今でも機能しているわけである。そのために、常の日に漁師などが未来を予測するような言動を発することを憚った(P10)】  ここに、神の意志に逆らうことなく、それに従うことを良しとする。そんな精神性を見て取ることができよう。  本書で取り上げられているのは東北の漁村を中心とした憑霊民俗である。そこここに見られる地名を見る度、それらを震災のニュースで目にしたことを思い出さずにはいられない。  本書に登場する語り部たちは明治から大正生まれのかたが多く、もうそのほとんどは天寿をまっとうされたかと思われる。そしてその翁媼から語りを受け継いだ漁師、巫女たちの多くは被災されているだろう。その語りは今後どうなっていくのだろう。  震災のニュースがまだマスコミに連日取り上げられている頃、被災者の方々がこれほどの災厄に見舞われているにも関わらず、怒りも嘆きも静かに堪えておられる姿に感銘を覚えたことは記憶に新しい。  それと同時に、なぜ彼らは声高に怒りを叫ばないのか、嘆きの声を上げないのかが不思議でもあった。  だが、海という異界とともに、神とともに歩み続けることを日常としてきたひとびとの精神世界を、本書を通じて僅かなり感じ取れた気がする。  【正月十五日に神に向かって(あるいは神となって)過去の大漁話や大漁のホラ話をすることも、また、盆中に帰ってきた御先祖に語りかけようとすることも、目に見えない神やホトケと共に話をして喜ぶことであったからである。このことは、話自体のもつ面白さを認めることと無関係ではない。豪快な話を神様と共に喜び、怖い話を精霊と共におびえるということは、とりもなおさず、そのような目に見えないものの心まで動かす、言葉や話の持つ力を認めていることに違いなかったからである。(P32)】  海の神も嘆いているだろうか。彼らに語りかけた人たちが浪に消えてゆくのを目の当たりにして。  精霊たちも寂しがっているだろうか。波間を蹴って走る船の姿が見えなくなって。  今もがれきの残る海岸に、いつの日か大漁旗がはためくことを、神も人も望んでいるに違いない。  

Posted by ブクログ