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われら新鮮な旅人
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | みすず書房 |
発売年月日 | 2011/02/17 |
JAN | 9784622075912 |
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われら新鮮な旅人
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商品レビュー
4.7
4件のお客様レビュー
長田弘さんの詩集ですね。 長田弘さんが二十歳から書きはじめた最初の詩集『われら新鮮な旅人』(二十五歳で出版)より二十の詩篇と、二十六歳のときに書いた長詩『クリストファーよ、ぼくたちは何処にいるのか』、三一歳のときに書いた長詩『夢暮らし』からなる詩集です。 戦後の若き詩人のアンニ...
長田弘さんの詩集ですね。 長田弘さんが二十歳から書きはじめた最初の詩集『われら新鮮な旅人』(二十五歳で出版)より二十の詩篇と、二十六歳のときに書いた長詩『クリストファーよ、ぼくたちは何処にいるのか』、三一歳のときに書いた長詩『夢暮らし』からなる詩集です。 戦後の若き詩人のアンニュイな気分に加えて、「大学の最初の夏休みに海辺の町の級友たちまちの家を訪ねあるいときの、明るい静かな海辺の記憶はふかく新鮮だった」イメージが詩篇に漂います。 また、アイロニーに富んでいながらも、虚無感からの離脱を、長田さんの内面からのうめき声のように浮かび上がらせています。この年代にしか歌えない青春譜ですね。 春をみつける あたたかい四月の雨が かたい大地の筋肉をゆるめて すばやく流れるときだ、 冷たい土ふかくかくされた 種が充実にむかって 立ち上がろうとし 貌(かたち)をもとうとして もどかしげに 太陽の 手をまさぐるときだ。 しだいに泡だってくる 中心をもとめる感受性のはげしさが、 こころの淵を いっせいに際立たせるときだ。 水は暖かくなり ゆたかになって 日光の力をつよめ、 過程をうながす。 古い根は大地との新しい緊張を生きている。 しかも伸びてゆく根毛は 固い土にしばられた言葉をほぐして やさしさを回復する。 誕生と死とがからまりあって のめりこむ 咽喉のはずれで、 冬の精神はおとろえ 声をひきあげようとする力が 緑のなかをたえず静かに降りてくる。 そして力は凝集し局面はかわるだろうか。 言いたいことはいつもひとつだ。 だが言葉はいつもひとつとはかぎらない。 やわらかい葉のさきに口よせて そこから滴る水を飲む。 そのようなしかたで愛を確かめあいながら ぼくたちは感受性の深みを生きる。 たくさんの笑い声でいっぱいな この真昼の時と影のなかで。 多島海 匂うような空の青さが 季節のすべての記憶から 日の色を奪ってゆくように ぼくたちは恋人 いつも新鮮な旅人! 新鮮な瞳のおくにひろがる 新鮮な石と水。 新鮮な 都市文明。葡萄粒のように 散らばって滴る新鮮な島々。 貝がめざめ イルカが光り ふるいふるい戦争の死者が ゆっくり顔をあげる くちづけのなかの新鮮な海。 ああ ふしぎだ、 世界が こんなに新鮮な永遠だとは。 長詩が多いので、短い詩を二つだけ紹介します。 長田さんのロマンあふれる心情をゆったりと味わいました。
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作者の20代の頃の十年間の詩篇をあつめた詩集だそうです。 確かに若い方独自の目線でしかかけない作品だというかんじがしました。 こわいくらいでした。 20代は私には、随分昔になりますが、経験したからわかるというものではなく、逆に私にはむずかしくかんじる詩が多かったです。 「誤解」 「パッション」 「ブルー・ブルース」 が素敵だと思いました。 他の作品も、もっと読んでみたい方だと思いました。
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建物に似ている気がする。左右対称で、美しい建物。教会のような。 その中では厳粛な気分になるような、背筋が伸びるような、大きなものに守られているようなそんな場所。 建築物を形作るのはシンプルな言葉たち。難しい表現はたぶんないと思う。 文章に対して「場所」という言葉をあてはめる...
建物に似ている気がする。左右対称で、美しい建物。教会のような。 その中では厳粛な気分になるような、背筋が伸びるような、大きなものに守られているようなそんな場所。 建築物を形作るのはシンプルな言葉たち。難しい表現はたぶんないと思う。 文章に対して「場所」という言葉をあてはめるのは変かもしれないが、感覚的には訪問している。 体の中に入ってくるというよりは、ただただ美しいものが眼の前にあって、手に取ってみることはできないような。
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