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家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日
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家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日

河野裕子, 永田和宏, 永田淳, 永田紅, 植田裕子【著】

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家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 産経新聞出版/日本工業新聞社
発売年月日 2011/02/13
JAN 9784819111225

家族の歌

¥220

商品レビュー

4.1

9件のお客様レビュー

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2023/09/02

永田氏の奥様の河野裕子さんが引き受けた、家族が互いにエッセイを連載するという企画。それが書籍化されたのがこの本。  でも、その連載が始まった時、河野裕子さんは乳がんの再発で化学療法を受けている最中。そして、その連載中に河野さんは亡くなられます。  なので、いつか近いうちにくるだ...

永田氏の奥様の河野裕子さんが引き受けた、家族が互いにエッセイを連載するという企画。それが書籍化されたのがこの本。  でも、その連載が始まった時、河野裕子さんは乳がんの再発で化学療法を受けている最中。そして、その連載中に河野さんは亡くなられます。  なので、いつか近いうちにくるだろうその時を意識した文章が多く、静かな佇まいを感じる。心にしみる問いかけや気づきがあって、折に触れて読み返したいと思う一冊。

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2022/06/22

『あの胸が岬のように遠かった―河野裕子との青春』がドラマ化されたのを見て、とてもとてもがっかりだったのだけれど、図書館で見つけて思わず借りる。 河野裕子が余命宣告を受けて亡くなる前後2年間を家族が歌とともにエッセイを書いている。新聞連載だけあって文章量が少ないが、それが食い足りな...

『あの胸が岬のように遠かった―河野裕子との青春』がドラマ化されたのを見て、とてもとてもがっかりだったのだけれど、図書館で見つけて思わず借りる。 河野裕子が余命宣告を受けて亡くなる前後2年間を家族が歌とともにエッセイを書いている。新聞連載だけあって文章量が少ないが、それが食い足りない気がする反面、言い過ぎない余韻もあってよかった。 p27 私たちはどんな悲しみを詠うときにも、常に歌の出来映えを意識下に測ってもいる。当然のことである。いい歌ができれば「やった!」と思うのである。 p33 母 河野裕子が最初の手術をした後、母は随分痩せてしまったと思った。と書く。そして、 元気な人の周囲には生気が漲っていて、それが人を大きく見せるのだと、つくづく実感する。 p64 君に届き支最後の声となりしことこののち長くわれを救はむ 永田和宏 息がとまったとき、「ゆうこ」と呼んだのだったか、「行くな」と叫んだのだったか。その私の声に応じるかのように、裕子はもう一度だけ息を吸ってくれた。私への最後の思いやり、精いっぱいのいたわりだったのだろう。彼女の耳に最後に届いたのが私の声であったという確信は、これからの私をいろんな場面ですくってくれることになるのだろう。 p69 家族がいっしょに暮せば、必ず何らかの軋轢はおこる。 しかし、ともにご飯を食べた経験と記憶は、どこかで人間の根っこを作るものであったことに気づく。 p139 身近に病人をもつと、今までは当たり前であった季節のめぐりが悲しい。コスモスの咲くころ、皇帝ダリアの咲く頃、という未来があり、時間は端をかかげてやってくる。その花が咲くまでには、否応なく大切な時が消費されてゆく。どんな時間も、必ずくることが怖い。 母がいるから、家は家なのだと思う。~ 誰かを待つこと、待っていてくれる人がいることは、この上なく大きい。それを失うことの想像はつかない。 p154 さびしいとさみしい 歌人である河野裕子は、この2つが微妙に決定的に違うと言う。 忘れるということは、私自身が私を置いてどこかへいってしまうような心細く、寄る辺ない思いに人を追いつめるのではないだろうか。~ さびしいと思い至るまでには時間がいるという。物が錆びるのに時間がいるのと同じように。さみしいには、さびしいよりも、もっと術のない心の深みからくる切実な音感がある。

Posted by ブクログ

2022/05/09

本書の筆者は、河野裕子、永田和宏、その家族、となっている。 河野裕子と永田和宏は夫婦で、ともに歌人である。永田和宏は同時に科学者でもあり、京大教授や京都産業大学学部長を務めていた。「その家族」は、永田淳と永田紅という、2人の間の子供。永田淳も永田紅も歌人であり、淳は「青磁社」とい...

本書の筆者は、河野裕子、永田和宏、その家族、となっている。 河野裕子と永田和宏は夫婦で、ともに歌人である。永田和宏は同時に科学者でもあり、京大教授や京都産業大学学部長を務めていた。「その家族」は、永田淳と永田紅という、2人の間の子供。永田淳も永田紅も歌人であり、淳は「青磁社」という出版社の代表を務め、紅は父親と同じく科学者であり、京大で博士号を取得している。もう1人の家族は、植田裕子であり、永田淳の妻、同じく短歌を詠む人だ。 本書は、産経新聞夕刊に、平成21年(2009年)9月21日に始まった、家族のリレーエッセー「お茶にしようか」の連絡を主体にまとめたもの。書籍化されたのは、平成22年(2010年)12月25日までのものである。 この間に、とても大きく悲しい出来事が家族を襲う。河野裕子が平成22年(2010年)8月12日にがんで亡くなられたのである。河野さんは、2000年に乳がんの手術をされている。それが連載開始の前年である2008年に再発。連載期間中は、河野さんの闘病期間でもあった。おおよそ助かりそうにないことは、河野さんご本人とそのご家族には分かっていた中での闘病生活であり、そのような中で書かれた「リレーエッセー」であった。 河野さんが亡くなられた前日の8月11日から12日にかけての様子を、永田和宏がエッセーとして書き、それが9月4日の新聞に掲載されている。死の前日の8月11日にも河野裕子は短歌を詠んでいる。そのうちの2首がエッセイで紹介されている。 あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が 2首目が河野裕子の最後の1首となった。 河野裕子が亡くなった、おそらく翌朝に、永田和宏の読んだ歌が下記のものである。 おはやうとわれらめざめてもう二度と目を開くなき君を囲めり

Posted by ブクログ

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