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蘭領台湾史 オランダ治下38年の実情 汲古選書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 汲古書院 |
発売年月日 | 2010/11/30 |
JAN | 9784762950568 |
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蘭領台湾史
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台湾に最初に統治機構を設置したのはオランダだった。 17世紀前半、オランダ東インド会社による38年間のタイオワン(大員・台湾)領有の歴史。 オランダ人の入植、ゼーランディア城(安平古堡)やプロヴィンティア城(赤嵌樓)の築城、スペイン勢力の駆逐と紅毛城の奪取、原住民の統治、中国との通商と海賊対策、鄭成功に敗れて撤退した経緯など。 主にオランダ側資料である『バタヴィア城日誌』、『ゼーランディア城日誌』、『東インド事務報告』を中心に、またこれらに対応する中国側資料も論拠としています。 中国との関わりでは、オランダ東インド会社、明朝、倭寇(実際は中国人海賊)の三つ巴の関係、特に鄭芝龍(鄭成功の父)の活動が克明に。 また原住民の実情と、武力弾圧のみではない統治の方法、全部族の代表者会議とも言うべき制度の存在。 日本人・浜田弥兵衛によるタイオワン事件や、原住民ルカの日本渡航と徳川将軍への謁見の史実。 現在は台湾(中華民国)が統治している澎湖諸島を巡る中国(明朝)とオランダの攻防も、台湾領有の前段階として述べられています。 オランダ側の高官(台湾長官や軍司令官など)たちは、バタヴィア、台湾、日本(平戸)の役職を歴任するものだったんですねw 著者の前作『鄭氏台湾史―鄭成功三代の興亡実紀』の前段階に当たる時代についての論文集です。 ニン、トン♪
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日本において戦国の世が終わり、太平の世に向かって世の中が少しずつ落ち着きだした17世紀前半、オランダ東インド会社はそれまでの澎湖諸島に替わる東アジア貿易における拠点を求め、台湾島の支配に乗り出した。本書は蘭・漢両国の史料を綿密に調べ上げることで描かれる、1624年に始まり鄭成功...
日本において戦国の世が終わり、太平の世に向かって世の中が少しずつ落ち着きだした17世紀前半、オランダ東インド会社はそれまでの澎湖諸島に替わる東アジア貿易における拠点を求め、台湾島の支配に乗り出した。本書は蘭・漢両国の史料を綿密に調べ上げることで描かれる、1624年に始まり鄭成功によって彼らが駆逐されるまで、都合38年に及ぶオランダによる台湾支配の詳細な記録である。 この時期はちょうど中国本土では明王朝末期にあたり、中国沿岸では中国人海賊達が猛威を振るっていた。そこに同じくマニラに続く貿易拠点として台湾進出を狙うイスパニア、そして南海交易を推し進める日本人商人がら入り交じり、超領域的世界が成立していたのである。その中でオランダ人達はこれらの勢力と対立・協調を繰り返しながら、ゼーランディア城築城などを通じて少しずつ地盤を固めていく。 オランダによる支配はなかなか独特で面白い。南部地域の原住民部族のうち有力な五大社とオランダは友好関係を結び、地方会議を通してオランダ側と定期的な交渉を持った。このうちもっとも開明的だった新港社は大部分がキリスト教に改宗している。そして彼らはオランダ側が他勢力と抗争する際は、大きな戦力として駆り出されていく。このあたりは、北米大陸におけるネイティブ・アメリカンに通じるものがある。一方で、オランダ人の目的はあくまで通商であって入植ではなかったから、本格的なオランダ人の定着は起こっていない。それでも図書館や共同墓地、原住民を対象にした孤児院が作られるなど、オランダ文明の移入は行われた。 またその代わりというわけではないが、ニューヨーク誕生の秘話を思い起こさせる土地取得によって建設されたプロフィンシア町には、漢人が入植し交易に当たった。後には本土の情勢不安も手伝って農民の入植も続いたようだ。またオランダ側が原住民を殺戮、連行したラメイ島は漢人商人に貸し付けられ、オランダ人が台湾を退去する頃には経営はだいぶ軌道にのっていたようだ。 さらには、台湾原住民と日本との交流があった事実も見逃せない。台湾は元々日本人が探検を試みた例があるほか、台湾での日本人商人の通商に関する対立から、商人に連れられた原住民代表が将軍に謁見するという政治的パフォーマンスさえ起きている。通商を拒否された日本人がオランダ皮の長官を人質にとって賠償を求めたタイオワン事件は、その後数年に渡り両国の間の懸案材料であったとされる。 このように、オランダの台湾支配は非常に複雑で入り組んだ関係性の中でなりたっていた。東シナ海のポリティック・バランスに注目が集まる昨今、そもそもかの海がどれだけそうした単色塗りの国家権力による統制からかけ離れた土地であったか、思いを巡らせてみるのも悪くはないだろう。
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