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戦国大名の通知表
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | PHPエディターズグループ/PHP研究所 |
発売年月日 | 2010/12/15 |
JAN | 9784569793184 |
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商品レビュー
2.5
2件のお客様レビュー
戦国軍団と大名を軍事、内政、外交、成長、団結力で採点。現在の評価と史実に基ずく評価の違いが興味深い。
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戦国時代に活躍した有名な大名及びその軍団について、矢幡氏が評価を行っています。個人だけの能力でなく大きな組織を活用できたのかという観点からも序列がされていて興味深いです。 織田・豊臣・徳川軍団がベストスリーを占めるのは分かっていましたが、その後の序列(毛利、本願寺、上杉、真田、...
戦国時代に活躍した有名な大名及びその軍団について、矢幡氏が評価を行っています。個人だけの能力でなく大きな組織を活用できたのかという観点からも序列がされていて興味深いです。 織田・豊臣・徳川軍団がベストスリーを占めるのは分かっていましたが、その後の序列(毛利、本願寺、上杉、真田、浅井、島津、北条、武田)についてはその根拠も解説してあります。 また、各々の軍団ごとに、時代とともに石高がどのように変遷していったのかをグラフにしてあったのは、私が昔から興味のあった事柄であり、私としてはこの点を最も評価したく思いました。 以下は気になったポイントです。 ・よく知られている石高は、関ヶ原の戦いが終わってからの石高、そして江戸300年のあいだに生産力はかなりアップしたが、殆どの大名はこの時の石高をそのまま表高として使い続けた(p16) ・桶狭間の戦いで、織田信長はほぼ尾張の平定を終えていたので57万石、今川は駿河・遠江・三河で65万石なのでほぼ互角、信長に数千しか集まらなかったのは形勢不利と見られたから(p17) ・島津氏は家臣からの自己申告を合計して22万石程度であったが、太閤検地により61万石に増えた、そのうち5万石を直轄地として差し出した、それまでの家臣たちの知行地は増やさなかったので、島津本家の直轄領が増えた、その後に、琉球分(琉球:8、奄美:4万石)が加わって72-77万石と言われた(p17) ・信長以前の軍団は、その兵力の大部分を農民兵に依存していたので、大名が1万人を動員しても、士分は1割程度、他は領内から招集された農民なので農繁期には軍事行動が起こせない(p24) ・豊臣秀吉は小田原征伐による天下統一で日本全国1800万石を統 一、その後の大陸侵攻分をあわせると2000万石が最盛期(p46) ・関ヶ原の戦いの敗戦で防長30万石に押し込められたが、開発の成功により幕末には100万石の実力があった(p126) ・吉川広家の嘆願により毛利は周防、長門を領することができたが、本家からは江戸時代を通じて裏切り者扱い、吉川家が大名に準じる扱いを受けたのは、明治になってから(p139) ・島津軍団の特徴は、鉄砲の威力を活かすため、鉄砲を足軽ではなく士分に持たせたのが特徴(p145) ・慶長の役で島津軍の活躍で忘れてはならないのは、露梁の戦い、李舜臣の水軍が撤退しようとする小西行長軍に襲いかかったのを救援した(p149) ・尼子軍団は、大内氏の防長を除く中国地方をほぼ統一するまでに勢力を拡大した、そして8か国の守護として認められて石高合計は90万石以上あった(p211) 2012年7月22日作成
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