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聖書とキリスト教倫理 神学は語る
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 日本キリスト教団出版局 |
発売年月日 | 2010/11/25 |
JAN | 9784818407626 |
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聖書とキリスト教倫理
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原題: What are they saying about scripture and ethics?fully rev.and expanded ed 第1章 神の命令 第2章 道徳の備忘録としての聖書 第3章 解放への召命 第4章 弟子になることへの召命 第5章 応答する...
原題: What are they saying about scripture and ethics?fully rev.and expanded ed 第1章 神の命令 第2章 道徳の備忘録としての聖書 第3章 解放への召命 第4章 弟子になることへの召命 第5章 応答する愛の基盤としての聖書 著者:ウィリアム・C・スポーン(Spohn, William C、1944-、アメリカ・ワシントン、神学) 訳者:徳田信(1978-、兵庫県、神学)
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自分の訳書を久々に読み直してみた。おおむねよく訳せていたと自画自賛。優秀な編集者(土肥研一氏)の力が大きいのではあるが。以下、訳者あとがきの一部。 著者スポーンはカトリックの神学者であるが、その神学的関心はプロテスタント神学に広く及んでいる。自然法や解放の神学などカトリック内の...
自分の訳書を久々に読み直してみた。おおむねよく訳せていたと自画自賛。優秀な編集者(土肥研一氏)の力が大きいのではあるが。以下、訳者あとがきの一部。 著者スポーンはカトリックの神学者であるが、その神学的関心はプロテスタント神学に広く及んでいる。自然法や解放の神学などカトリック内の議論はもちろんのこと、バルトやボンヘッファーを踏まえ、シュスラー・フィオレンツァらのフェミニスト神学、さらにはスタンリー・ハワーワスのナラティヴ神学などを論じていく。スポーンは第1章から第5章に至るまで、多様な神学的立場を織り込んでいるが、それは、「ここでの議論の多様性は、学問的な混乱を示すものではなく、聖書それ自体が持つ溢れんばかりの豊かさを表している」(序論より)という著者の確信に支えられている。 スポーンの開かれた姿勢は、神学の「自由市場」たるアメリカで教育を受け、また研究生活を続けたこととも関連しよう。シカゴ大学のキリスト教倫理学者ジェームズ・ガスタフソンの下で書いた博士論文は、「ジョナサン・エドワーズの宗教と道徳」(1978)であり、その後もエドワーズやプロテスタント神学者たちについて多く書いている。またその生涯にわたり、ミサへの出席や説教すること、個人的な祈りや小グループでの信仰者の交わりなど、キリスト者としての信仰生活を大切にしていた。夫人の追悼文によると、カトリック内のカリスマ刷新運動によって彼自身の「大覚醒」がもたらされ、宗教的感情の大切さを体験的に学んだという。スポーンはこれらを通し、学問と敬虔、倫理学と霊性の結びつき、また信仰的交わりの中で聖書を読むという姿勢を深めていった。 読者は本書において、第二バチカン公会議以降のカトリックの変化を読み取ることができるに違いない。そもそも、自然法に基づくカトリックの伝統的な倫理神学では、具体的な行為の是非を論じる決疑論(カズイストリー)が中心であった。そこでは個々の行為そのものが問題とされるのであって、行為主体そのものに対する関心は薄い。第2章の前半で自然主義倫理学として紹介されている立場はこの線上にある。しかし同章の後半では、それに対するカトリック内の異なる動きが紹介されている。たとえば、1993年に出されたヨハネ・パウロ23世の回勅『真理の輝き』では、聖書から聴こうとする姿勢が明確に打ち出されており、特にキリストの命令に従い、キリストの弟子となることが強調されている。 スポーンの方向性は、この第二バチカン公会議以降のカトリックの変化に棹差している。最終第5章では、第1章から第4章までを踏まえた著者の立場が展開されている。そこでは、キリスト教倫理学における聖書の中心性と、受けた愛に感謝して応答する霊性の重要性が語られている。それは、とりわけ第4章で扱われているナラティヴ神学を発展させたものである。本書は、プロテスタントの読者にとっては、カトリック内の新しい動きを知る手掛かりとなり、カトリックの読者にとっては、現代プロテスタンティズムによる神学的倫理学の手引きとなるであろう。 少しく個人的なことに言及すれば、訳者は一般にファンダメンタリストと称される立場の教会で信仰を持ち、今に至るまでその中で育まれてきた。しかし神の豊かな導きの中で、福音派、ペンテコステ・カリスマ派、エキュメニカル、カトリック、無教会など、様々な伝統の方々と交わる機会を与えられた。その中で教えられてきたことは、多様性を通して現される神の豊かさである。私たちの聖書理解は、誰のものであれ「今は、鏡におぼろに映ったものを見ている」 (1コリ13・12)に過ぎない。いつの日か神と顔を顔とを見合わせるとき、すべては明らかになるであろう。しかし今は不完全にしか分からない。それゆえ他者が必要となる。互いの聖書理解を尊敬を持って受け止め、学び合う中で、「真理の断片」をつなぎ合わせ、神の豊かな真理のより多くの部分を知るのである。聖書に聴き従おうとする者は、このような「強さ」を持つことができることと思う。 他者に喜んで耳を傾ける態度は、自らの教会的・神学的伝統を大切にすることと、必ずしも矛盾しない。スポーンが本書で指摘しているように、聖書は、教会をはじめとする信仰共同体の中で読まれ、解釈されるものである。私たちは皆、自覚的にしろ無自覚的にしろ、何らかの教会的・神学的伝統の影響を受けて聖書を解釈し、その理解のもとに信仰生活を営んでいる。そこでは聖書理解と現実生活が分かちがたく結び付いている。他者との対話は、深く自らの伝統を踏まえその中で生きている時に、豊かな実りを自分自身、自分の属する共同体、そして対話相手にもたらすことができるだろう。本書が、聖書に基づく教会形成的な「草の根エキュメニズム」に少しでも資するものになれば、と願っている。
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