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笑う禅僧 「公案」と悟り 講談社現代新書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2010/11/19 |
JAN | 9784062880800 |
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笑う禅僧
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商品レビュー
3.8
5件のお客様レビュー
章の冒頭に紹介されている公案を見ても「なんでこれが公案?」とわからず、その後の解説を読んでもやっぱりどこが公案なのかわからないものがしばしばあった僕は、禅には向いていないのであろう。 禅の思想は面白いんだけど、結局は「なんでもあり」だし、「言ったもん勝ち」みたいな気がしないでも...
章の冒頭に紹介されている公案を見ても「なんでこれが公案?」とわからず、その後の解説を読んでもやっぱりどこが公案なのかわからないものがしばしばあった僕は、禅には向いていないのであろう。 禅の思想は面白いんだけど、結局は「なんでもあり」だし、「言ったもん勝ち」みたいな気がしないでもない。
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宗教をかたるには、上のものをいかに下に持ってくるのかにあると思う。形を大事にするあまり、本質が違ってしまったものや、わかりにくいものがあるけれど、この本は形は違うけれど本質は近いものを見せてくれたような気がする。 わかった事は、無は認識した時点で無ではない、前はいかにそれに...
宗教をかたるには、上のものをいかに下に持ってくるのかにあると思う。形を大事にするあまり、本質が違ってしまったものや、わかりにくいものがあるけれど、この本は形は違うけれど本質は近いものを見せてくれたような気がする。 わかった事は、無は認識した時点で無ではない、前はいかにそれになろうかとする。 そんな感じ。
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評価あんまりよくないけど・・・これ面白かったよ!! 禅という、アブナくて変テコで、それでいてヤクザな(いや、ほんとに)宗教を、よくぞここまでわかりやすくしかもそのややこしさを損なわずに書いたなーと、とても感心した。 禅の本質ってなんぞや。これは究極の問いである。 What is...
評価あんまりよくないけど・・・これ面白かったよ!! 禅という、アブナくて変テコで、それでいてヤクザな(いや、ほんとに)宗教を、よくぞここまでわかりやすくしかもそのややこしさを損なわずに書いたなーと、とても感心した。 禅の本質ってなんぞや。これは究極の問いである。 What is zen? わからない。というか、わかる人なんているのだろうか。もしいるとしたら、それはきっと「悟った」人であろう。で、もしそんな「悟った」人がいるとしたら、それは凡人から見ればかなりの確率で「イッちゃって」いる人だろう。 つまりは、日常からの超越である。その人の規範は、きっと日常から超越してしまっているのではないかと思う。 禅は厳しい宗教である。これは間違いない。 禅とは「自力」の宗教である。神も、経典も、信心も、禅は与えてくれないし、なんら教えてくれない。 ひたすらに「悟り」を求めるのに、その「悟り」の境地を図るものさしが一切ない。 だから己のみがある。しかしその「己」に執着してもいけない。では「無」というのがその境地かと言えば、これまた違うようである。 なんだ? 悟りってなんなんだ? 自分が全てなら、ものさしがないのなら、私は今のままでも十分悟ってるのと、どう違うの? 作中で司馬遼太郎の言葉が引用されていたのだが、その言葉が印象的だった。 「禅宗というものは、難しい。禅宗はやったほうが悪くなってしまう感じがする。1万人に1人だけが悟りの境地に行けるけれども、9千999人はやらない前より悪くなるのではないか」 ああ、わかる、と思った。司馬さんがそう言いたくなる気持ちが。 禅は突き詰めていけば、主観の肯定というところに触れざるをえないのではないか。そう言えば聞こえはいいが、それはつまり、社会のものさしの否定へと、簡単に繋がりかねないのでは? だからこそ、禅は厳しくなったのだろうな、とも思う。あまりに自由すぎるから。だから、戒律や規範で常に自身を戒める必要があったのだろう。 自由すぎるからこそ、自分でしかその境地を計れないからこそ、禅は厳しくなった。そうでなければならなかったのだろう。 だから、禅宗のお坊さんはこっちが引くぐらい自分に厳しいのだと思う。禅の有名(?)なお坊さんに、イッちゃってるという人が多いのもそのせいだろうなー、と思った。 文章自体もとてもうまいし、エピソードの出し方もとても理にかなっていて、読みやすさと内容とのバランスも大変よかったと思う。 でも、この帯はやめたほうがいいと思うよ(笑)。
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