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ぼくのために泣け
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 集英社 |
発売年月日 | 1977/05/01 |
JAN | 9784087600049 |
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ぼくのために泣け
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ケリーは黒人の作家だ。だが黒人作家と言い切るのには抵抗感がある。それはバラク・オバマを大統領だったとは言うが黒人大統領だったとは言わないのと同じ意味なのかもしれない。 その理由は、ケリーの作品が黒人の生活や人生観を出発点としながらも、人種を超越した、もっと普遍的な人間の姿を描こ...
ケリーは黒人の作家だ。だが黒人作家と言い切るのには抵抗感がある。それはバラク・オバマを大統領だったとは言うが黒人大統領だったとは言わないのと同じ意味なのかもしれない。 その理由は、ケリーの作品が黒人の生活や人生観を出発点としながらも、人種を超越した、もっと普遍的な人間の姿を描こうとしているように読めるからだ。 それを裏書きするかのように、彼は前書きでこう書く。 -「アメリカ作家で、たまたま黒い肌をもって生れてきたものは、次のようなユニークな問題に直面することになる。『いわゆる黒人問題の解決策や解答が、その作品に含まれているのではないか、と読者から往々にして期待される』ということである。 …作家は、むしろ疑問を提出するものであるべきだ、というのが私の考えである。作家は人間そのものの姿をきわめていくのが仕事であって、人間のかたちを藉(か)りた諸々の象徴や思想を解明するものではない。」 でも、この言い方はどちらかと言えば堅苦しく、彼らしくない。彼の作品はもっとフランクで、白人と相対する黒人といった私たちの多くが抱くイメージの型枠に収まり切れない多彩なテーマ性を示している。例えるならば、ダブリンを描くJ.ジョイスと岸和田を描く中場利一の両方が1人の作家によって1冊の本に収められているようなものだろうか? 具体的に各短編の内容を追ったほうが理解に近づきやすいかもしれない- 「リバティー街でたった一人の男」=米南部にある“リバティー”という街は、「自由・解放」という名のとおり、いまは黒人と白人が混住する。その町に住む小さな女の子の家に、1人の白人の紳士が大きな荷物を持ち訪れる。女の子はその男性が自分の父親だと見抜く。母と白人男性との3人で暖かい家庭が築かれようとするが、ある日、女の子は馬車に乗った白人女性が厳しい視線を自分の家に向けているのを見つける。 実は女の子の母は、南軍の元軍人の白人男性が黒人奴隷の女性に産ませた子。一方で、女の子の父には白人の妻がいたものの、彼は彼女との生活を棄て、女の子とその母のいる家に身を寄せ、黒人の血が繋がる者と家族を持とうとした。 しかし黒人が解放されたはずの街では、白人は「黒人」というレッテルを「元奴隷の子孫」と張り替えることにより、いまだ黒人を下に見る発想が白人の心の奥に残っている。人間が頭では理解する解放の一方で、厳然と存在する差別の現実が描かれるが、ケリーのペンは主人公の女の子のイノセントな視点を中心に据えることで、重苦しさだけに陥らないように物語を成立させている。 これは彼の作品のなかでは比較的シリアスな部類。だが「酔っぱらった水夫」では、黒人青年が道でばったり泥酔して歩く老水夫に出くわす。その水夫は青年にいきなり「おまんこがしてえんだ」と言い放つ(笑い)。水夫は具体的に書かれないが非黒人だろう。水夫が言うには「蜂蜜色のすらっとした脚の」黒人娼婦が最高だったので忘れられないらしい。こう言うと、私が岸和田少年愚連隊を引っ張ってきたのもわからなくはないでしょ?でもこの水夫が黒人女性に特化して抱く強い性欲に、実は黒人への差別性が潜んでいることをこの短編は言い含んでいる。 そして私の印象に深く残ったのが、表題作の「ぼくのために泣け」だ。 ただし、“CRY FOR ME”を直訳したような日本語題「~泣け」は、あとがきで訳者が示すように、実態は「ぼくのために歌ってくれ」と書くほうが的を得ている。 それにしても、黒人のブルースがなぜ聞く者の魂を揺さぶるのかという命題を、フィクションでここまで可視化したことに驚嘆する。南部からニューヨークに来た“おのぼりの”黒人が、何の衒いも執着心も上昇志向もなく、単に自分が歌いたいだけの自分の歌を歌う― ―そのことが、肌の色の違いや差別と闘おうとしたものの理想が破れた多くの現実を超越するかのようにすべての聴衆の心を打つシーンは何度読んでも良い。 “CRY FOR ME”とは、黒人も白人も関係なくすべての聴衆が平等に、人生を凝縮したような歌に感応して「ぼくのために歌ってくれ!」と叫ぶ、その叫びのことだ。
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