- 中古
- 書籍
- 書籍
「やまとごころ」とは何か 日本文化の深層 MINERVA歴史・文化ライブラリー14
定価 ¥3,080
2,200円 定価より880円(28%)おトク
獲得ポイント20P
在庫なし
発送時期 1~5日以内に発送
商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | ミネルヴァ書房 |
発売年月日 | 2010/08/10 |
JAN | 9784623054299 |
- 書籍
- 書籍
「やまとごころ」とは何か
商品が入荷した店舗:0店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
お客様宅への発送や電話でのお取り置き・お取り寄せは行っておりません
「やまとごころ」とは何か
¥2,200
在庫なし
商品レビュー
3.5
2件のお客様レビュー
一、二カ所辻褄の合わないところはあるが、考えるヒントをいくつか与えてくれた。 「やまと」の語源については様々な説があり、「やま」が山であることはほぼ疑いがないようだが、「と」をどう解釈するか。「処」「跡」「麓」「門」等の説に対し、それは山の「人」という意味合いではなかったかと...
一、二カ所辻褄の合わないところはあるが、考えるヒントをいくつか与えてくれた。 「やまと」の語源については様々な説があり、「やま」が山であることはほぼ疑いがないようだが、「と」をどう解釈するか。「処」「跡」「麓」「門」等の説に対し、それは山の「人」という意味合いではなかったかと著者は言う。 海幸彦山幸彦の話は、山の民族と海洋民族のぶつかり合いで、最終的には山幸彦=山の人の勝利に終わるという物語。 山は神々が降臨する場所でもあった。 神を一柱、二柱と表現するのは、巨木信仰から来たものか? 縄文土器は、あたかも注連縄が土器を縛っているようにも見える。「結び」の思想によるものだろうか。 (バチカン宮殿の大広間の太い柱も、二つの螺旋が捩り合う形になっている) 注連縄は、大樹、巨岩、洞窟など、異界を感じさせる場所に張り巡らされている。縄そのものに霊力を感じていたのだろうか。(稲作との関わり合いかとも思ったが、水稲文明は弥生時代だなぁ) 縄文土器には波状渦巻きがある。自然界の四大(水、風、火、土)が渦によって強い霊力が発現すると考えられていたようだ。(勾玉がその一環であるという見方は、ぼくにとっては新鮮な驚き) 前方後円墳は円の部分が小高い山を表し、棺はその山に納められている。「方」=長方形の部分はその山へ至る道で、祭祀は「山」を見上げる形で地上で行われた。 「山」に祀る意味合いは、日本人の信仰の対象は山であって、御霊は山に宿るものとされていたからである。そう言う意味合いでは、前方後円墳ではなく、全円後方墳と呼ぶべきであろうとの指摘は、些細なことかもしれないが頷ける。 その「全円後方墳」が鍵穴型であるとか何とか言うのは上空から見てしか分からないことで、古墳は素直に横から見るものであろう。小高い「山」に静まる御霊の場所は、「方」である緩やかなスロープで地上世界とつながっている。 神道は祖霊信仰に端を発するもの。人は死ぬと御霊=神になった。(この神をGodと混同するからややこしいことになる) 日本の神は、基本的には姿を現さない。 仏教が伝来したとき初めて、偶像崇拝の考え方が出てきた。 それまで各地の豪族たちがそれぞれの氏神様を祀っていたところに、祖霊を仏像に集約することで聖徳太子は祖霊信仰を皇祖神礼拝への一本化を図ったのかもしれない。 いずれにせよ、祖霊崇拝の念は僕ら日本人の心から消え去ってはいない。 地球上を接見する唯一神教(キリスト教徒イスラム教)が日本で根付かないのは、そのためではないだろうか。 靖国神社は怪しからんと隣の国々でぎゃーぎゃー騒いでいる。それを仕掛けたのは朝日新聞なのだが、それはさておき、かの国では「死者の墓を暴いて辱める」という、ぼくらにとっては驚くべき風習がある。日本には、そんな風習はない。 死んだ人の悪口を言うのは恥ずべきこととされている。 更に、残念無念の思いを強く持って非業の死を遂げた者は、怨霊となってこの世に祟りを為す。それを、「どうぞお鎮まり下さいませ」と祀るのが、日本の文化。(天満宮は、菅原道真の祟りを鎮めるために造られた) トーキョー裁判で戦勝国から一方的に「戦犯」と断じられた面々を、靖国神社は英雄として祀っているわけではない。神社という処は「どうぞお鎮まり下さいませ」と鎮魂する場所なのである。
Posted by
やまとごころ。大和の心。大和とは、山の人を意味します。序章で詳しく論じられており、たいへんスリリングです。大和が山の人であると理解すれば、万葉集などの理解もはずみます。あらためて、万葉集を万葉集として読むことのむずかしさを痛感させられました。 初学者にはとっつきにくいことがいろ...
やまとごころ。大和の心。大和とは、山の人を意味します。序章で詳しく論じられており、たいへんスリリングです。大和が山の人であると理解すれば、万葉集などの理解もはずみます。あらためて、万葉集を万葉集として読むことのむずかしさを痛感させられました。 初学者にはとっつきにくいことがいろいろと書かれてありますが、とりあえず古代と現代がストレートに直結していることを、感覚的に理解すればよいと思います。それを、英道は「やまとごころ」ということばで表現しようとしています。 本書を読んでみて、たとえば万葉集をさらに身近に感じられたとしたら、その読書を大成功だとみなしてよいでしょう。日本人としての自覚をとりもどす好著です。(内容に躓いたら、表紙をながめてうっとりしよう!) しき島のやまとごゝろを人とはば朝日にゝほふ山ざくら花 -宣長
Posted by