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ムッシュー・アンチピリンの宣言 ダダ宣言集 光文社古典新訳文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 光文社 |
発売年月日 | 2010/08/09 |
JAN | 9784334752095 |
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ムッシュー・アンチピリンの宣言
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歴史上最も破壊的でアナーキーで危険な匂いのするダダイスム。一昔前のロックにもパンクにもダダの延長にあるといえる。 ダダは何も意味しないからこそ歴史的文脈押し当てられることなく、ある種の永遠性や普遍性があり常に新鮮である。 しかしダダは単にニヒリズムではなく、そこにはダイナミズムが...
歴史上最も破壊的でアナーキーで危険な匂いのするダダイスム。一昔前のロックにもパンクにもダダの延長にあるといえる。 ダダは何も意味しないからこそ歴史的文脈押し当てられることなく、ある種の永遠性や普遍性があり常に新鮮である。 しかしダダは単にニヒリズムではなく、そこにはダイナミズムが存在している。 ちなみにその後シュルレアリスムに吸収されたように紹介されることが多々あるが、ダダイスムは無意味であるからこその固有性がある。 具体的な違いはシュルレアリスムは特にその偶然性に着目し、偶然とは無意識下での潜在的な本質であり、それらを引き出そうとしたフロイトの精神分析に傾倒したもの。 その点ダダは意味が無いということに尽きる。 ツァラは作者の作品、言葉と意味を徹底的に切断してきた。 正直自分はダダ宣言集やダダ詩集目当てというより、塚原史の解説のダダの解説を読みたくて購入した。これから読む人はまず解説を読んで本編を読むことをおすすめする。 反アート、反システムなど現代でこのようなワードを聞くと、煙たがられるだろう。しかしここまで究極につきつめていると、もはや美しく感じる。 自分たちの心の奥底には、常に革命的な光の眩しさへの憧れがあるのかもしれない。
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ダダの創始者トリスタン・ツァラ(1896-1963)により発表されたいくつかのダダ宣言と、同時代の芸術に対する批評、そしてダダ時代の詩作品(詩集『詩篇25+1』『ぼくらの鳥たちについて』から七篇)を収録している。以下、「宣言集」のみ収録内容を記しておく。 ・「ムッシュー・アン...
ダダの創始者トリスタン・ツァラ(1896-1963)により発表されたいくつかのダダ宣言と、同時代の芸術に対する批評、そしてダダ時代の詩作品(詩集『詩篇25+1』『ぼくらの鳥たちについて』から七篇)を収録している。以下、「宣言集」のみ収録内容を記しておく。 ・「ムッシュー・アンチピリンの宣言」 ・「ダダ宣言1918」 ・「気取りのない声明」 ・「反哲学者ムッシューAaの宣言」 ・「トリスタン・ツァラ」 ・「反哲学者ムッシューAaがおれたちにこの宣言を送る」 ・「かよわい愛とほろにがい愛についてDADAが宣言する」 ・「〈付録〉おれはどうやって魅力的で感じがよくて愛らしくなったか」 ・「植民地風の三段論法」 □ ダダは、自分自身に対する一切の規定性を嫌悪し否定しようとする。その嫌悪と否定は、その徹底性ゆえに、自らを「ダダ」として規定しようとしてしまう自己自身に対しても、不可避的に向けられることになる。則ち、規定性の徹底した否定が不可避的に自己否定に到らざるを得ない精神の構え、これがダダであろうと思う。 「言葉なんかごめんだ!眼差しなんかまっぴらだ!」(「トリスタン・ツァラ」)。 「君を運命から逃がしてあげられるのはDADAだけだ」(「植民地風の三段論法」p94)。 しかしながら、一切の規定性から自由な全き不定態という境位に回帰することが不可能であることを、ツァラは痛切に認識していたに違いない。ダダとは、どこにも到り着くことのない、そもそもどこかに到り着くことを予め想定していない、ただ意味に対する嫌悪だけがそこにある、無目的な無限運動である以外に在り得なかったのではないかと思う。限定→否定→限定→否定→……という reflexive な無限系列。この自己矛盾的な自己関係性という機制を、現実の中で実際どのように現実化=作品化して生きていくのか。これがダダの根底にある関心事だったのではないか。ツァラが興味を抱く「作品の中に直接はっきりと移し変えられた個性の強烈さ」「人間とその生命力」(「ダダに関する講演」p182)というのは、ダダ的な意味で自由を志向する者に論理必然的に孕まれている自己矛盾という在り方の、その「表現=生き方」のことを指しているのではないか。 「ダダイストに関心があるのは、自分自身の生き方なのです」(「ダダに関する講演」p187)。 「嫌悪」「否定」「自由」「無意味」「AでありかつAでない」「反‐ダダ」「反‐原則」「反‐システム」「反‐論理」「反‐未来」「反‐目的(=自然発生性)」「反‐精神分析」「反‐言語」「自己窃盗狂」「白痴」「精神の独裁」「仏教に近い無関心」「ダダはひとつの精神状態である」等々も同様の文脈で解釈できるのではないかと思う。 □ 「なにものにも回帰し得ない」ということに対する徹底性の度合いが、ダダとシュルレアリスムとを本質的に区別しているのではないか。則ち、「言語=理性=論理=自己意識=意味」に外部はなくそこから逃れ出ることは不可能である、という事実に対する痛切な認識があるか否か。何らかの外部(例えば「無意識」「狂気」「非‐理性」「夢」「性」「未開文化」)を持ち出してこの「なにものか」を実体化したくなる欲望を断念しているか否か。ダダの徹底性に対して、シュルレアリスムはどうしても妥協的に思えてならない。 「人類全体に共通する心の土台を見つけたと、人びとはほんとうに信じているのだろうか」(「ダダ宣言1918」p26)。 訳者による「解説」中でも示唆されているダダと20世紀思想との類似性というのは、ダダの「反‐形而上学」的で「反‐実念論」的な傾向、則ち、「否定神学」的傾向に由来しているのではないかと思う。20世紀思想のさまざまな分野の議論においてしばしば自己関係的機制が見出されるのも、ダダにも通じるこの「否定神学」的傾向ゆえではないかと推測する。
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本書冒頭にも、訳者もふれているが、ダダと聞くと真っ先にウルトラマンの怪獣を思い浮かべる。その次に私とダダとの接点になるのは、パンク・ロックがある程度収まってきた頃に、ラフ・トレードというレコード・レーベルから「キャバレー・ヴォルテール」というバンドが「ナグ・ナグ・ナグ」というシン...
本書冒頭にも、訳者もふれているが、ダダと聞くと真っ先にウルトラマンの怪獣を思い浮かべる。その次に私とダダとの接点になるのは、パンク・ロックがある程度収まってきた頃に、ラフ・トレードというレコード・レーベルから「キャバレー・ヴォルテール」というバンドが「ナグ・ナグ・ナグ」というシングルを出したのを聞いた時だ。その後、きっかけは覚えていないが、シュルレアリスムに興味を持ち、関連の展覧会にも足を運んだ。ブルトンとの絡みで、ツァラはなんとなくシュルレアリスムのもとを作った人ではあるが、その後、たもとを分かち、あまり展開もなく、しぼんでいったように感じていた。ダダの末期は寂しいものだが、本書を読むと、創成期の「強烈さ」は伝わってくる。あらためて、ダダはパンクだったんだなと感じた。
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