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人性論 中公クラシックス
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
| 発売年月日 | 2010/07/10 |
| JAN | 9784121601193 |
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人性論
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商品レビュー
4
12件のお客様レビュー
鋭い洞察力だなあ、自我とは連続性のない知覚の束だと見抜いたのはすごい。自分(自我、エゴ)を知るのに役立ちそう。それにしても哲学書は難しい。 普段は坐禅、瞑想して思考をあまり使ってないから、たまに哲学に触れると頭・思考の体操になる気がする。哲学書の内容はすぐ忘れちゃうけど。
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記述のすべてが現代にも妥当しうるとは思わないが、読んでよかったと思える。 古典的哲学書は、まずその思考過程、着眼点、問題意識に現代でも学ぶべきものがあり、その結論にすべての価値があるとは限らない。 本書はまず、ぼくらが因果関係としてとらえているものにメスを入れる。認識作用は、超...
記述のすべてが現代にも妥当しうるとは思わないが、読んでよかったと思える。 古典的哲学書は、まずその思考過程、着眼点、問題意識に現代でも学ぶべきものがあり、その結論にすべての価値があるとは限らない。 本書はまず、ぼくらが因果関係としてとらえているものにメスを入れる。認識作用は、超越論的(アプリオリ)に、因果のフィルターがかかっている、と主張したカントの思考がヒュームからきていることがわかる。また、因果を含む、すべての空間的、時間的関係は縁によって成り立つ、仮のものと主張する仏教とも親近しているといわれるゆえんもある。つまり、必然的な因果関係はありえず、蓋然性からしかとらえられないという主張である。 また、デカルトに代表される理性偏重の風潮にも批判を加えている。情念の重要性の復権である。 さらに、基礎づけを相対化するポストモダン的な記述もうならせるものがある。 最後の「原始契約について」はルソーの社会契約への徹底批判。時に武力が全てを決するのだ。また、社会契約が世代を超えて引き継がれることへの違和感を表明している。
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「思うに、私という人間は、これまでいく度も浅瀬に乗り上げたり、狭い入江を通るのに危うく難破を免れたりしながら、それでもまだ、水もりする、雨風に 打たれた同じ船で向こう見ずに海へ乗り出そうとし、さらにはこんな悪条件のもとで地球の一周を考えるほどに野望を燃やしている人間、 そんな人間...
「思うに、私という人間は、これまでいく度も浅瀬に乗り上げたり、狭い入江を通るのに危うく難破を免れたりしながら、それでもまだ、水もりする、雨風に 打たれた同じ船で向こう見ずに海へ乗り出そうとし、さらにはこんな悪条件のもとで地球の一周を考えるほどに野望を燃やしている人間、 そんな人間のようである。⑴」 これはヒュームの自己解釈である。人性論を終盤まで読んでこの一文に辿り着くと、これに心から同意できるだろう。何故なら、彼ほど愚直に、 良く言えば素直に、悪く言えばまどろっこしく何かについて(「印象・観念」「経験」という武器を使って人間の本性を)解き明かそうと足掻き続けた 人間は他にいないからである。 2 全てを語る前にもう一言、ヒュームが人間の本性に向き合った理由についても引用しよう。 「重要な問題で、人間の学のうちにその解決が含まれていないようなものは一つとしてなく、我々がこの学問をまだよく知っていないのに確実に解決 されうるようなものはない。だから、われわれは人間性の原理を明らかにしようと試みることで、実際は諸学問の完全な体系を目ざしているのである。 ⑵」 ここには、彼の原因がある。何の原因かと言えば、ヒュームがのちに語り継がれる大いなる経験論を打ち立てた結果の原因である。さあ、経験論の始まりだ。 3 彼が解き明かしたいくつかの人間の性のうち、最もセンセーショナルでインパクトがあるのは、「想像」かもしれない。想像について、これを解き明かそう という時、ごく普通に頭に思い浮かぶのは、果たして人間の想像などというものを言語化、理論化することが可能であるのかということである。何故なら、 想像の想像たる所以は、制限なく無限大であるはずだからである。その問いに答える前に、私が今し方無限大の想像と書いた時、そこから想像した情景 について語ろうと思う。それというのは、ドラえもんの主題歌「ハグしちゃお」のワンシーンである。どういうシーンかと言うと、雲の上にのび太達5人衆 がいる。のび太はいつもの如く、雲の上に寝転んでいる。そこにはペガサスがいて、女神に扮して⁉ハーブを弾く静香ちゃんがいる。まさに空想を具現化した ような情景である。だが、より正確に言えば、私は「無限大の想像」から直結して「ハグしちゃお」を想像したわけではない。実は、「無限大の想像」→ 「雲の上の城、女神、ペガサス」→「ハグしちゃお」と段階を踏んで想像したのである。これは、決して事前に考えられた何かという訳ではない。私は、 ヒュームの想像論について語る導入に「無限大の想像」と書いた瞬間、上記の思考の流れに突入し、それをただ正直に書いただけなのである。 4 ということで、想像の理論化が可能であるかという最初の問いに答えると、答えはYESだ。そしてもっと言えば、先述の一連の思考の流れの中に、 想像の理論化、つまりヒュームの想像論、ひいては経験論の重要な多くの要素が散りばめられている。これは、私の構成の余念のなさを証明している訳では ない。如何にヒュームの想像論が本質をついているか、或いはヒュームの血に滲むような努力の結果、私がヒュームの経験論を信念として迎え入れ、 上記の「無限大の想像」から「ハグしちゃお」への流れの中に、本質の多くが潜んでいるという観念へと思考の歩みを進めるに至ったかということを 表しているのである。つまりこれは、ヒュームの偉業の賜物である。 5 ということで、想像の論理を語っていこう。まず、これは想像は単なる分離した何かと何かの結合ではないという論理である。 そもそも想像とは観念を分離し、あるいはつなぎ合わせて行うものである⑶。ここでいう観念とは、思考そのものと思ってもらえれば良い⑷。一方、観念 つまり思考に先立つものとして印象がある。ともかく、この想像、つまり観念と観念を結びつける原理には「類似性」、「近接性」、「原因と結果」の3つが 存在しているのである。 では、先ほどの「無限大の想像」から「ハグしちゃおへの想像(観念の移行)に上記原理を当てはめてみるとしよう。http://nobuko.html.xdomain.jp/hume.html
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