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地方別・並列日本史 PHP新書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | PHP研究所 |
発売年月日 | 2010/05/17 |
JAN | 9784569779546 |
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商品レビュー
3.2
5件のお客様レビュー
時代による縦割りではなく、地方別による横割りで見ていく日本史。 当然、古代から近世まで含めて関西地方や関東地方が中心になるのはやむを得ないところだが、その中でも北海道から沖縄までの辺境の地方史は勉強になった。
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飛鳥時代から明治までの歴史を北海道~沖縄まで地方別に開設してくれている本。こういう角度で書かれている歴史本はけっこう珍しいかも。 北海道や沖縄の歴史が飛鳥時代から明治まで簡単ではあるけれど解説してくれているのが興味深かったです。 また、本文に入る前に地方別の一覧表がついている...
飛鳥時代から明治までの歴史を北海道~沖縄まで地方別に開設してくれている本。こういう角度で書かれている歴史本はけっこう珍しいかも。 北海道や沖縄の歴史が飛鳥時代から明治まで簡単ではあるけれど解説してくれているのが興味深かったです。 また、本文に入る前に地方別の一覧表がついているのがわかりやすくていいです。
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武光氏は日本の歴史を様々な切り口で解説してくれますが、今回は日本を地方別に分けてほぼ同じ分量で歴史を語ってくれています。 日本の中心は江戸時代までは近畿地方、それ以降は関東も少しは登場しますが、その時他の地方はどのような動きがあったのか、この本を読むことで少し分かった気がしま...
武光氏は日本の歴史を様々な切り口で解説してくれますが、今回は日本を地方別に分けてほぼ同じ分量で歴史を語ってくれています。 日本の中心は江戸時代までは近畿地方、それ以降は関東も少しは登場しますが、その時他の地方はどのような動きがあったのか、この本を読むことで少し分かった気がしました。これからも新しい切り口で日本史を語ってくれることを楽しみにしています。 以下は気になったポイントです。 ・飛鳥時代は592年の飛鳥豊浦宮(推古天皇)から694年:藤原京(持統天皇)まで、645年:難波長柄豊崎宮(孝徳天皇)、667年:近江大津宮(天智天皇)以外は、全て飛鳥周辺に皇居が置かれている(p33) ・694:藤原京(持統天皇)、710年:平城京(元明天皇)となたが、奈良の周辺に皇居は変わった、794年の平安京(桓武天皇)以降はそのまま(p50) ・清和源氏とは、清和天皇の子孫で関東に勢力を張った武士の嫡流、一方西日本では桓武平氏が勢力を持っていた(p76) ・鎌倉幕府は、関東の武士(南部家、葛西家等)を地頭として東北地方へ送った、やがて朝廷の勢力外であった津軽の安東家が幕府に従った(p93) ・625年から754年にかけて伝来した南都六宗(三論、成実、法相、倶舎、華厳、律宗)に対して、鎌倉新仏教(浄土、浄土真、時、臨済、曹洞、日蓮宗)があるp100) ・鎌倉時代で中国地方に勢力を張れたのは、出雲の佐々木家のみ(p101) ・南北朝時代には、足利尊氏の嫡子である義詮を鎌倉にとどめて関東を治めさせた、1349年に鎌倉府がおかれて義詮の弟の基氏が関東(鎌倉)公方に任命された、鎌倉府は関東8カ国と、伊豆、甲斐の合計10カ国を支配した(p115) ・中国地方の山名氏清氏は11カ国の守護を独占して、日本の66カ国の6分の1を治めていたので「六分の一殿」と呼ばれた(p122) ・1532年頃の尼子晴久氏は、中国地方の大半をその勢力におさめたが、晴久の死後、義久時代の1566年に毛利元就に降伏した(p163) ・関ヶ原の戦い直前において、石田三成(19万石)と同程度の大名は、細川忠興(23)、長束正家(12)、筒井定次(20)、増田長盛(20)であった(p180) ・江戸、大坂、京都の人口変化(1630頃、1720頃、1873頃)を見ると、江戸:14→50→59、大坂:27→38→27、京都:41→34→23万人である(p215) ・幕末に東北地方は幕府よりの立場を取ったのは、江戸時代を通じて東北地方と江戸との商取引が盛んであり、東北地方の農作物が江戸で売られていたことによる(p225) ・幕末に神戸が開港されているが、条約では兵庫となっていた、兵庫は江戸時代の瀬戸内海航路の要港であり外国人を入れたくなかったので、東方の神戸村に港を造った(p232) ・1868年に京都府と大坂府が置かれたが、このあたりから「大坂」が「大阪」と書かれるようになった、「坂」の字が「土に反る=死」を意味することや、気分一新のためと言われる(p242)
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