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恋愛論 ちくま学芸文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 2010/05/10 |
JAN | 9784480092922 |
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商品レビュー
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過去の文学名作品の批評的考察から恋愛についての本質に迫っていこうと試みられた作品。恋愛が元になっているので、フィクションが元になっているということで、それで人間の本質にというのは、なんとなくしっくりこないところではあるが、小説もまた人が作り出すものということから考えれば、これも人...
過去の文学名作品の批評的考察から恋愛についての本質に迫っていこうと試みられた作品。恋愛が元になっているので、フィクションが元になっているということで、それで人間の本質にというのは、なんとなくしっくりこないところではあるが、小説もまた人が作り出すものということから考えれば、これも人の諸相を示す一つの出発点としても問題なかろうというところからきているのだろうと納得させながら読みました。恋愛が語られる名作をダイジェストで味わうこともできるので、よい面もありますね。
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2017.6.1 ロマン性に関する著者の議論は他の本でも何度か読んだことがあるんだが、どうもピンとこない。自分が惚れた相手に対して、ある種の理想が現実において再現される可能性を見ている、というが、恋した時のあの感覚を、ドキドキを、そういう風に説明できるのよく分からない。しかし、...
2017.6.1 ロマン性に関する著者の議論は他の本でも何度か読んだことがあるんだが、どうもピンとこない。自分が惚れた相手に対して、ある種の理想が現実において再現される可能性を見ている、というが、恋した時のあの感覚を、ドキドキを、そういう風に説明できるのよく分からない。しかし、じゃなんと説明すればいいのかというと中々難しい。 ある人に、惚れる。あの時のあの心の感じを、どう説明すればいいのか。説明不可能さに対して感情はあまりにも強く、故にこそこれは文学のテーマにもなってきたのだろう。 忘れられたものの由来というものは、私自身を内省しても出てこないものであり、故に説得力にかけるのかもしれない。幼少期の挫折の蓄積から生まれるロマン性、しかし確かに子供の時は、何かヒーローというか、ロマン的な世界観を生きていた。少女にとっては白馬の王子様的な話である。だから、ロマン性の存在は確かに納得する。それは中二病と言われるものの正体とも思える。問題は、恋愛もまたそれなのだろうか、ということであり、またロマン性というがそのロマン性の存在ではなく、そのあり方が問題である。 惚れるとは、あのロマン性、ワクワクやドキドキを、最も抽象化された形で、相手に対して見ている、ということなのだろうか。子供の頃のロマン世界ならわかる。しかしそれと、いまになっての恋愛とが、繋がるようには思えない。何より、じゃあ恋愛しているときは子供の時に感じていたあの世界の感覚だろうかと言われるとそうでもない気がする。 挫折し修正されながら心の奥底にしまわれてきた生涯におけるロマン性の一切が、一気に放出するとでもいうのだろうか。うーんなんとも分からん。 ただ、恋愛というものを私はあまり考えてこなかったし、しかし恋愛とは人間のなんたるかを示す大きな手がかりだし、なので、この本に限らず、いろんな本を読んで、人間の欲望論的なあり方を考えてみたい。考えたところで出てきはしないだろう。しかし本を読まずに私が自分で考えたところでどうして出てこないのだろうか。また考えても出てこないから読むというのは、まず考えてからこそ言えることであり、考えてもいないことを読んでも、その読んだものを判断するなんの基準もない。まず自分で一から考える。その上で人の言葉を聞く。これだろう。
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相手のことを想って胸を焦がすような「恋愛」という体験の意味を、実存的な観点から解き明かそうとする試みです。 われわれは恋から醒めた時点から振り返って、プラトニックな愛にのぼせ上がって「現実」が見えていない状態だったと考えたり、あるいは恋愛の本質は単なる肉の欲望であり、それを「恋...
相手のことを想って胸を焦がすような「恋愛」という体験の意味を、実存的な観点から解き明かそうとする試みです。 われわれは恋から醒めた時点から振り返って、プラトニックな愛にのぼせ上がって「現実」が見えていない状態だったと考えたり、あるいは恋愛の本質は単なる肉の欲望であり、それを「恋愛」を呼ぶ人は事実を覆い隠す美しい虚構に酔っているにすぎないと考えたりします。しかし恋愛のただなかにある者たちは、相反するはずのプラトニズムとエロティシズムをまったきひとつのものとして生きています。本書がめざすのは、こうした特権的な時間と、それが醒めた後の日常的な時間との間にある大きな齟齬のもつ意味を解明し、「恋愛」の実存的な本質を取り出すことです。 人間社会は、他者とのかかわりのなかで自己の「アイデンティティ」を勝ちとるゲームにほかなりません。社会のなかで「自由」を実現しようとする自己は、何らかの「自我理想」を掲げ、他者からそうしたアイデンティティを承認されることで、自己の「自由」を獲得することになります。ところが、かけがえのない欲望の対象である恋人の心を得るということは、「自分が自分である」という理由だけで愛される、純粋な可能性を意味していると著者はいいます。それは、自己が掲げるロマン的な理想が、いっきょに自分の生として現実化される可能性を与えるのです。また著者は、こうした愛し合う恋人どうしの間でのみ許される「美」を侵犯することにエロティシズムの本質があるという主張を展開します。 このほか、著者はコンスタンの『アドルフ』やスタンダールの『赤と黒』、さらにトルストイやドストエフスキーの文学作品を手がかりに、「美への希求」と「情欲」が一つになる恋愛が、実存にとってどのような意味をもつのかということを追求しています。とくにドストエフスキーの作品は、このような実存のありようそのものに対する問いかけが認められると著者はいい、その重要性を明らかにしています。
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