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人を“資源"と呼んでいいのか 「人的資源」の発想の危うさ
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 現代書館 |
発売年月日 | 2010/04/15 |
JAN | 9784768456248 |
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人を“資源"と呼んでいいのか
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子どもの頃、「女の腐ったような奴」という言い方があった。優柔不断で煮え切らない男を非難する表現として使われていたが、この言い方が侮蔑語として機能するためには、男は決断力がある一方で、女は自分で決められない劣った存在であるという前提、共通理解が必要であり、それがその共同体の「常識...
子どもの頃、「女の腐ったような奴」という言い方があった。優柔不断で煮え切らない男を非難する表現として使われていたが、この言い方が侮蔑語として機能するためには、男は決断力がある一方で、女は自分で決められない劣った存在であるという前提、共通理解が必要であり、それがその共同体の「常識」になっていなければならない。 この言葉をまさか今使っている人はいないだろう。こんな歪んだ考えに基づく表現を今の時代、社会が許さないからである。現在、「しょうがい」の表記が「障がい」「障害」「障碍」で揺れているが、旧い偏見、価値観から生まれた言葉が問題視され、やがて消えていくのは、社会が変わった、変わりつつあるということを端的に表している。 これは別の言い方をすれば、現在流布している表現や言葉は、それらを使うことが問題視されず、当然のこととして当面了解されているということでもある。 前置きが長くなったが、本書の著者が問題にしているのは「人的資源」「人材」という言葉である。無自覚に使われている陳腐な表現だが、考えてみるとこの言い方の背後には、人間を材料、モノと見る価値観がある。2003年、自衛隊のイラク派遣をめぐる討論で、派遣を推進する山崎拓自民党幹事長は、自衛隊について「資源」「人的資源」を「使う」という言い方をする。1999年、いじめを受け、護衛艦「さわぎり」の艦内で自らの命を絶った自衛官の事件があったが、その被害者の母親は、これを聞いて強い違和感を覚える。「資源というのは消費するものですよね。人間を資源というのはおかしい。自衛官を使い捨てにするような発想が表れていると思います」 この事件を取材していた著者は、この母親の言葉をきっかけに、「人的資源」という言い回しの歴史をたどっていく。詳細は是非本書を読んでいただきたいが、満州事変の前年、政府は人間に通し番号をつけて「資源」「物資」として扱っていたこと、その考えは第一次世界大戦時、すでに時の権力者によって説かれていたこと、敗戦後は人権否定に繋がるとして慎むべき言葉とされていたこと、それが経済の文脈で息を吹き返してきたこと等を、国会答弁の資料や記録を通して明らかにし、この言葉の根底には、人をモノ、道具とみなす人命、人権軽視の冷酷さがあることを、説得力を持って語る。そしてそうした観点から、炭鉱労働事件、派遣労働の現状、断種、自衛隊等についてあらためて考えていく。 「命は大切」 異論を挟む余地はないはずだが、この言葉を、命は命であるがゆえに大切なのではなく、大切なのは使い勝手のいい道具だからとする考えが、この国の権力者には間違いなく根を張っている。本書を読んでそれを再確認した。コロナ、放射能問題に対するこの国の冷酷な対応、セクハラ、パワハラ、差別、ブラック労働等、こうした視点で今一度考え直すと、いろいろ合点がいく。言葉の背後にあるものを読み解く鋭敏な感覚を持ちたいものだ。 生命が誕生したのは36億年前と言われている。以来連綿とそれを受け継ぎながら、いずれは必ず消えてしまう個の命を、たかだか2000年にも満たない国や、人生のほんの一時籍を置くに過ぎない組織に、「資源」として消費されるのは断固拒否する。本書を読んで、そんな思いをあらためて強くした。
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「人的資源」という言葉をキーワードに、現代社会に潜んでいる人格軽視の風潮と消費されていく人間達の待遇改善を訴える一方で、その根源を戦前の国家総動員法と優生学思想に求める。やや感情に押し流されている面はいなめないが、それが著者の執筆の動機付けとなっただけに、いたしかたあるまい。 ...
「人的資源」という言葉をキーワードに、現代社会に潜んでいる人格軽視の風潮と消費されていく人間達の待遇改善を訴える一方で、その根源を戦前の国家総動員法と優生学思想に求める。やや感情に押し流されている面はいなめないが、それが著者の執筆の動機付けとなっただけに、いたしかたあるまい。 ただ、そもそも高度に組織化された現代社会にあってはあるポジションにだれがつくか、そしてどのような人間がつくべきかとうマネンジメント理論が必要である。その延長においては当然「人的資源」とような発想が出てこざるを得ないわけで、この言葉の意味と非人間的な派遣労働や自衛隊内でのいじめとは関連性が薄いように思える。全体として論点の軸がやや弱く、定まらないように感じた。
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