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鳥羽伏見の戦い 幕府の命運を決した四日間 中公新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 2010/01/25 |
JAN | 9784121020406 |
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鳥羽伏見の戦い
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鳥羽伏見の戦い
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商品レビュー
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鳥羽伏見の戦いは幕末期における天下分け目の合戦だったのに、その戦況の推移を詳しく知っている人はそれほどいない。学校でもさらりと流して終わるし、鎖国により兵器の近代化に遅れた保守的な幕府が、いち早く開明し軍備を近代化した薩長に負けたという図式でいつも語られる。本当にそうなのか?とい...
鳥羽伏見の戦いは幕末期における天下分け目の合戦だったのに、その戦況の推移を詳しく知っている人はそれほどいない。学校でもさらりと流して終わるし、鎖国により兵器の近代化に遅れた保守的な幕府が、いち早く開明し軍備を近代化した薩長に負けたという図式でいつも語られる。本当にそうなのか?という疑問にこの本は答えてくれてる。 結論を先に言うとNOだ。 幕府もフランス式に軍備を近代化して、伝習隊という精鋭歩兵部隊を組織している。しかも伝習隊の装備していた銃は元込式のシャスポー銃で、先込式のミニエー銃しかなかった薩長よりはるかに威力があるものだった。ミニエー銃が1発撃つ間にシャスポー銃なら3発撃てる。しかも装填も寝そべったまま(頭をあげなくてもいい)できた。ミニエー銃は一度立ち上がらないと装填できないので、その間は無防備になる。 だから幕府が近代化に遅れ、薩長が進んでいたなんてことはない。 では、なぜ四日にわたる戦闘のすべてで幕府は負け続けたのか。 これは偏に将軍慶喜は暗君だったからである(著者はそこまで断定してないが、自分はそうとしか思えない) まず都に入京するときに武装し大軍で行きながら、銃に装弾していないという失策。薩長が仕掛けてくるとは露ほども思っていない。示威行動で怖気づくとでも思っていたのか、情報収集がなってない。これでは出鼻をくじかれても仕方ない。 二日目には装備を整えた幕府軍だが、強風の風下に布陣したばかりに戦況を不利にする。(風下で発砲すると硝煙や発砲時の火花をもろに顔にうけてやけどするため、火力をいかしきれなかった) これは兵力への過信が招いた敗戦だが、逆にいうと幕府軍のほうが火力では勝っていたのだろう。 三日目以降の戦闘でも、戦況を分析し指揮する指揮官がいなかった幕府軍は正面攻撃に終始したため、薩長に側面攻撃されて押された。そういう意味では用兵の妙は薩長に分があり、先見性があったことは認めざるをえない。しかし、個々の戦場では会津兵の奮闘もあり、押している場所もあった。そして何度か敵の背面に抜け出して挟撃するチャンスがあった。しかし現場の指揮官が形勢逆転の勝機を見抜けず、会津兵の再三の追撃要請にも応じなかったため、ついに勝機をつかめなかった。 兵力は足りていたのに、用兵がまずくて負けたとしか言いようがない。 最悪なのは、大阪城に籠城してからの慶喜の行動だ。城を枕に徹底抗戦をするという決死の表明をしておきながら、舌の根の乾かぬ内に城から逃亡するという総大将にあるまじき行為。天下の堅城で籠城戦をしていれば、戦況はどっちに転ぶかまだまだわからなかったのに。というより、おそらく幕府軍に有利になったはずだ。しかし総大将が逃げてしまっては戦にならない。あろうことか慶喜は逃亡するときに妾を同船させている。保身しか考えていない 維新後、慶喜は自分は戦争したくなかったのに会桑らが勝手にはじめた、などと回想記に記している。大阪城を抜け出した件に関しては、もとから江戸に帰って恭順の意志を示すつもりだった、そのためには味方をも欺く必要があった、と恥じることなく言っている。妾には本当のことを言えるのに、命を懸けている兵には嘘をつくのか。 平気で嘘をつけて人に責任を押し付け、それによって人がどれだけ傷ついても良心の呵責を感じない。こいつはサイコパスの典型じゃないか。 戦後、桑名藩がまとめた史書は慶喜の行動を「天魔の所為」と断じている。 これ以上に慶喜を的確に表現した言葉はない。
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改めて鳥羽伏見が維新期におけるターニングポイントであったことがわかる。鳥羽伏見以前において慶喜はまだ権力を放棄する意思はなく、在京の薩長の兵力は幕府の兵に比べて少数で、薩長の頼みとする土佐藩は日和見な態度であった。そのような環境の中では、その後の権力が幕府に転がるのか薩長に転がる...
改めて鳥羽伏見が維新期におけるターニングポイントであったことがわかる。鳥羽伏見以前において慶喜はまだ権力を放棄する意思はなく、在京の薩長の兵力は幕府の兵に比べて少数で、薩長の頼みとする土佐藩は日和見な態度であった。そのような環境の中では、その後の権力が幕府に転がるのか薩長に転がるのか不透明な状態だった。ゆえに多くの藩は日和見な態度を見せていたのである。 結果劣勢と思われた薩長が勝ち、錦の御旗が揚がったことは明治の到来を決定付ける極めて象徴的な出来事だったことがわかる。 どうも明治に入ってから慶喜の弁明が受け入れられたことにより、鳥羽伏見の本来の意義が後世長い間過小評価されたのではないかと思う。
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幕末には、「大政奉還」をなしとげた「徳川慶喜」が生き残る可能性も充分あったとの見方もあるが、本書はその可能性を断ち切った幕府の敗戦である「鳥羽伏見の戦い」についての詳細な考察である。 しかし、「軍事的」推移を追いかけすぎて、もっとも重要な「政治面」の考察が少ないように思えた。...
幕末には、「大政奉還」をなしとげた「徳川慶喜」が生き残る可能性も充分あったとの見方もあるが、本書はその可能性を断ち切った幕府の敗戦である「鳥羽伏見の戦い」についての詳細な考察である。 しかし、「軍事的」推移を追いかけすぎて、もっとも重要な「政治面」の考察が少ないように思えた。 本書のプロローグには「鳥羽伏見の戦史ドキュメントである」とはっきりと記載されているが、「徳川慶喜の大阪城逃亡」やその後の幕府の「徹底恭順」などは、「徳川慶喜」の特異なキャラクター抜きには語れない。 歴史の動きは、だれもが見てわかりやすい「軍事」以外にも、独特の論理で動く「政治」の動きがある。 一般に「軍事」は「政治」の動きに規定されて進められるといわれる。 本書では、鳥羽伏見の「軍事」の動きはよくわかるが、徳川幕府の総大将である「徳川慶喜」が当時の政治状況の中で何を考えて、どう判断したのかを充分に追いかけているようには思えない。 本書を読んでも「鳥羽伏見の戦い」の勝ち負けは、「軍事的合理性」だけでは理解しにくい。 やはりこの戦いは「政治」の考察抜きには理解できないのではないのかとも思えた。
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