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日本型「教養」の運命 歴史社会学的考察 岩波現代文庫 学術231
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
| 発売年月日 | 2009/12/16 |
| JAN | 9784006002312 |

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日本型「教養」の運命
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商品レビュー
4
4件のお客様レビュー
近代日本における「教養」や「修養」の変遷を深く掘り下げた本書は、明治期から戦後に至るまでの教養主義の成立や展開を詳細に論じています。特に、旧制高校におけるエリート文化と大衆文化との対比が印象的で、教養主義がどのように形成され、またその後の社会にどのような影響を与えたのかを探求しています。著者は、修養主義と教養主義の融合がもたらした文化的変化についても考察し、教養の本質を問い直す重要性を強調しています。さらに、現代における教養の復権については、再考の余地があるとし、知識人と大衆の関係性を新たに築くことが求められていると指摘しています。全体として、教養の意味や役割を再評価する視点を提供しており、読者に深い思索を促す一冊です。
※この内容はAIが作成したものであり、ブックオフ公式オンラインストアの見解や意図を示すものではありません。
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「教養」について改めて考え直したくなる一冊であった。 本書では教養を 「①専門に対する基礎としての教養」 「②幅広い知識としての教養」 「③文化の習得による人格の感性という意味での教養」 と3つのカテゴリーに分類していた。これらのカテゴリーは排他的でなく,同時に存在する時もある。 ここで現代社会のことを考えてみたい。 本屋に行けばファスト教養のような本が並び(本書にある通りこれが悪いわけではない),インターネットを見れば解説が並んでいる。昨今は,生成AIが大きな影響力を持ち始めていて,難解な文章を簡単に言い換えてくれている。 今の世の中は①と②だけしか見ていない人が多いように思う。 ③を獲得し,深く豊かな洞察を得ることに意義を感じるためにはどうしたら良いのだろうか。本書にも解のようなものは書かれているが,他にもあるように思う。 本書の記載通り,歴史を見てみると「善の研究」のような難解な著書を,若者が読んでいる。彼らが「この本を手に取りたい」と思った要因はなんだったのだろうか?彼らの持つエートスだけが要因ではないのだろう。 考えること。 これに彼らは動かされていたと思う。これが人格を形成する出発点であると思う。 今私たちは彼らのように考えたい,という動機に駆られて動けているのだろうか。
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京都大学文学部教授を経て、現・帝京大学文学部の筒井清忠(1948-)による、「教養」をめぐる近代日本の精神史。1995年に単行本で出版されたものに、「現代日本の教養」(第5章)を加えて文庫化された。 【構成】 第1章 近代日本における教養主義の成立 第2章 学歴エリート文化とし...
京都大学文学部教授を経て、現・帝京大学文学部の筒井清忠(1948-)による、「教養」をめぐる近代日本の精神史。1995年に単行本で出版されたものに、「現代日本の教養」(第5章)を加えて文庫化された。 【構成】 第1章 近代日本における教養主義の成立 第2章 学歴エリート文化としての教養主義の展開 第3章 近代日本における「教養」の帰結 第4章 企業経営文化としての「修養」と「教養」 (付論)修養主義の思想的課題 第5章 現代日本の教養 あとがき 本書は、近代日本のエリート輩出機関たる旧制高校、特にナンバースクールにおける「教養主義」の生成課程を主たるテーマとしている。 江戸期から庶民の中に息づく「修養主義」は、明治前半期の高等学校の生徒にも大いに取り入れられていた。一方でこの時代における「教養」は、後の「文化受容」や「人格の形成・感性」という語義を含んでいなかった。 それが、明治末期、一高であれば新渡戸稲造が校長として赴任した1906年ごろから、様相が変化してくる。この時期から修養主義の中に「教養主義」的な要素が現れてきたという。本書では、修養主義という言葉の中にそれまでの「人格主義」に留まらない、西洋古典中心とした読書を通じた「文化受容」の意味が付与されるようになったと主張している。 そして、続く大正期・昭和初期にかけて「教養主義」のマニュアル化に拍車がかかり、旧制高校のエリート文化が形成されていく。 このような形成過程を経たからこそ、旧制高校におけるエリート文化は大衆的なエートス(修養主義)とは完全に分離できず文化基盤として脆弱であったという点、また大正期以降に隆盛するマルクス主義も文献の購読という観点からスムーズに受容されていったという点は興味深い。そして、前者は戦後の新制大学が「大衆化」するとともに希薄化し、後者はその希薄化とともに廃れた。 全体として論旨は明快であり、テクストの読み込みも不自然さはない。しかし、後半の「教養主義」の復権については、上滑りの感が強い。人文学の研究蓄積のためだけに、教養を求めるのであれば、手段と目的をはき違えていることになろう。著者には、いま一度冷静に、「なぜ教養が必要なのか」ということを考えてもらいたい。
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本書は主に第3章で、明治末期から現代までの教養の考え方の変遷が述べられている。私にとっての新たな気付きは、著者が「教養主義文化」と「エンタテイメント中心の大衆文化」対比させていることである(130頁)。 また、明治末期からの旧制高校の教養文化から、戦後・1960年代までの高等教...
本書は主に第3章で、明治末期から現代までの教養の考え方の変遷が述べられている。私にとっての新たな気付きは、著者が「教養主義文化」と「エンタテイメント中心の大衆文化」対比させていることである(130頁)。 また、明治末期からの旧制高校の教養文化から、戦後・1960年代までの高等教育を受けた者の中で醸成された「固有のエリート文化」、すなわち教養主義文化は、トロウのいう高等教育の発達段階説の「エリート」の段階に概ね符合していることもわかった。(著者は表13で高等教育就学率を示しこの辺のことを主張している。) 第5章で大衆文化と教養主義的文化を媒介させる知識人的大衆又は大衆的知識人が増えれば、それが多数派になるはずと指摘している。思うにこれが現代の大学、特に学士課程教育での使命なのではないか。アメリカ型を高等教育を結果的に取り入れたからには、なんとかそれを活用するコンテンツ・システムの運用をすることが課題だと、私の中で仮に位置づけたい。
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